尾車部屋は現在どうなっているのか。かつて日本相撲協会に所属し、元大関・琴風が師匠を務めた尾車部屋は、2022年2月7日付で閉鎖されました。しかし、部屋がなくなったからといって、所属していた力士や親方たちの相撲人生が終わったわけではありません。元関脇・豪風は押尾川部屋を興し、元関脇・嘉風は二所ノ関部屋を経て、2024年に中村部屋を新設しています。
2026年現在、尾車部屋という名称の相撲部屋は存在しません。一方で、尾車部屋で育った力士たちの活躍や、親方たちが受け継いだ指導の歴史は、現在の相撲界につながっています。閉鎖の理由、正式な閉鎖日、歴代力士、移籍先、そして「尾車親方」という名前の現在まで、確認できる記録をもとに整理します。
【2026年最新】尾車部屋は現在どうなっている?

2026年現在、尾車部屋は現存する相撲部屋ではありません。日本相撲協会が2022年1月27日に公表した理事会発表事項には、同年2月7日付で尾車部屋を閉鎖することと、所属員を押尾川部屋および二所ノ関部屋へ転属させることが記録されています。
つまり、尾車部屋の現在を知るうえで重要なのは、旧部屋の存続を探すことではなく、所属していた親方や力士がどこへ移り、その後どのような部屋を築いたのかをたどることです。特に、押尾川部屋と中村部屋は、旧尾車部屋との関係を理解するうえで欠かせない存在です。
また、「尾車部屋」と「尾車親方」は同じ意味ではありません。尾車部屋を率いていた元大関・琴風は、2024年5月11日付で日本相撲協会を退職しました。その後、同月17日には元幕内・琴恵光が年寄名跡「尾車」を襲名しています。2026年現在の尾車親方は、佐渡ヶ嶽部屋に所属する元琴恵光の尾車充隆です。
年寄名跡が引き継がれたことは、旧尾車部屋が再開したことを意味しません。部屋の閉鎖と、親方が使用する年寄名跡の継承は、別々の事柄として理解する必要があります。
【尾車部屋の歴史】元大関・琴風が築いた35年の歩み
尾車部屋の歴史は、元大関・琴風豪規が現役を引退した1985年にさかのぼります。琴風は1985年11月場所を最後に現役を退き、年寄・尾車を襲名。その後、1987年3月23日に佐渡ヶ嶽部屋から独立し、尾車部屋を創設しました。
琴風は現役時代に幕内最高優勝2回を記録した実力者です。日本相撲協会の公式プロフィールにも、大関在位や戦歴が記録されています。現役時代に培った経験を生かし、長年にわたって弟子の育成と相撲界の運営に携わりました。
尾車部屋は、創設から閉鎖までの間に多くの力士を育てました。なかでも代表的なのが、元関脇・豪風と元関脇・嘉風です。両者は異なる持ち味を持ちながら幕内上位で活躍し、尾車部屋の名前を相撲ファンに広く知らしめました。
部屋別の力士記録を整理した資料によると、尾車部屋に在籍した関取は12人で、内訳は関脇2人、前頭6人、十両4人です。幕内最高優勝こそありませんでしたが、三賞や金星を獲得した力士もおり、部屋の実績は優勝回数だけでは測れません。
尾車部屋の特徴を振り返るときは、単に何人の関取を輩出したかだけでなく、豪風や嘉風のように幕内で長く戦った力士を育てたこと、そして閉鎖後も弟子や親方が別の部屋で活動を続けていることに目を向ける必要があります。
【閉鎖の経緯】尾車部屋はいつ、どのように閉鎖されたのか
尾車部屋の閉鎖は、ある日突然決まったものではありません。師匠の定年が近づくなかで後継や所属員の移籍が検討され、最終的に日本相撲協会の理事会で正式に承認されました。
2021年12月25日、尾車親方は報道陣の取材に対し、翌年1月の初場所後に部屋を閉鎖する方針を明らかにしました。当初は3月の春場所後を予定していましたが、大阪の宿舎が使えなくなるなどの事情から、予定を前倒しすることになりました。閉鎖発表時、尾車親方は「悔いはない。やりきったと感じている」と語っています。
その後、2022年1月27日の理事会で閉鎖と所属員の転属が承認され、2月7日付で正式に実施されました。主な経緯を時系列で
| 時期 | 出来事 | 意味・その後 |
|---|---|---|
| 1985年11月 | 元大関・琴風が現役を引退 | 年寄・尾車を襲名し、指導者としての道へ進む |
| 1987年3月23日 | 尾車部屋を創設 | 佐渡ヶ嶽部屋から独立して部屋を興す |
| 2021年12月25日 | 閉鎖方針を公表 | 2022年初場所後の閉鎖を明らかにする |
| 2022年1月27日 | 日本相撲協会の理事会が承認 | 押尾川部屋の新設と所属員の転属、尾車部屋の閉鎖が正式決定 |
| 2022年2月7日 | 尾車部屋を閉鎖 | 所属員が押尾川部屋と二所ノ関部屋に分かれる |
| 2024年5月〜6月 | 尾車名跡の継承と中村部屋の新設 | 元琴恵光が尾車を襲名し、元嘉風の中村親方が独立 |
この年表から分かるのは、尾車部屋の閉鎖と、所属員のその後の再編が連続した出来事だったということです。2022年2月7日は単なる最終稽古の日ではなく、所属員の転属と部屋の閉鎖が正式に実施された日付です。
【閉鎖理由の真相】なぜ尾車部屋は継承されなかったのか
尾車部屋の閉鎖理由を理解するうえで、最も重要なのは師匠の定年です。尾車親方こと元大関・琴風は1957年4月26日生まれで、2022年4月に65歳を迎える予定でした。日本相撲協会の年寄としての定年が迫っていたことが、部屋の今後を決める大きな要因となりました。
加えて、閉鎖時期が当初の予定より早まった背景には、大阪の宿舎を使用できなくなる事情がありました。2021年12月の報道では、3月の春場所後に閉鎖する予定だったものの、宿舎の問題などから1月の初場所後に前倒しすることになったと説明されています。
では、弟子の誰かがそのまま尾車部屋を継承する選択肢はなかったのでしょうか。閉鎖に伴う再編では、元関脇・豪風の押尾川親方が独立して押尾川部屋を新設する一方、元関脇・嘉風の中村親方らは二所ノ関部屋へ移籍しました。最終的に、尾車部屋の名称と組織をそのまま引き継ぐ形にはなりませんでした。
ここで注意したいのは、部屋の閉鎖と後継者の独立は、必ずしも同じ意味ではないという点です。押尾川部屋は尾車部屋を単純に改称した部屋ではなく、押尾川親方が新設した相撲部屋です。中村親方も当初は二所ノ関部屋へ移籍し、そこから約2年後に独立しています。こうした経緯をたどると、閉鎖後の再編が段階的に進んだことが分かります。
公表された閉鎖理由や理事会発表からは、定年と宿舎事情が主要な要因として読み取れます。閉鎖そのものを不祥事や力士の問題と結び付ける根拠は、これらの公式記録には示されていません。
【所属力士のその後】豪風・嘉風・友風らは現在どこにいる?
尾車部屋の閉鎖に伴い、所属員は主に押尾川部屋と二所ノ関部屋へ分かれました。その後、二所ノ関部屋に移った中村親方が独立したため、2026年現在は押尾川部屋と中村部屋を中心に、旧尾車部屋とのつながりをたどることができます。
押尾川部屋:元関脇・豪風が師匠
押尾川親方こと元関脇・豪風は、2019年1月場所を最後に現役を引退し、年寄・押尾川を襲名しました。2022年2月7日付で押尾川部屋を新設し、旧尾車部屋から矢後、天風、飛燕力らが転属しました。
2026年現在、日本相撲協会の公式部屋紹介には、師匠の押尾川親方とともに風賢央らの所属が掲載されています。かつて尾車部屋で力士として鍛えられた豪風が、今度は師匠として後進を育てる立場になったことは、尾車部屋の歴史を語るうえで大きな転換点です。
中村部屋:元関脇・嘉風が師匠
元嘉風の中村親方は、尾車部屋の閉鎖に伴い、2022年2月に友風らとともに二所ノ関部屋へ移籍しました。その後、2024年5月30日の日本相撲協会理事会で独立と中村部屋の新設が承認され、6月1日付で新たな部屋が発足しました。
中村部屋には、旧尾車部屋から二所ノ関部屋を経て移籍した友風らが所属しています。2026年現在の協会公式部屋紹介でも、友風や嘉陽らの名前を確認できます。尾車部屋から二所ノ関部屋への移籍が、さらに新しい部屋の創設へつながった事例です。
歴代力士を振り返るなら、最高位と閉鎖後の所属を分けて見る
尾車部屋の代表的な力士には、豪風、嘉風、友風、矢後、天風などがいます。豪風と嘉風はいずれも最高位が関脇で、友風は前頭3枚目まで昇進しました。矢後も幕内を経験し、天風も幕内の土俵に立っています。
ただし、歴代力士を調べる際は、尾車部屋に所属していた時代の実績と、移籍後の所属や成績を混同しないことが大切です。たとえば、友風は尾車部屋で幕内に昇進した後、二所ノ関部屋を経て中村部屋へ移りました。現在の所属だけを見ていると、尾車部屋とのつながりを見落としやすくなります。
【真相と実態】尾車部屋について誤解されやすい3つのポイント
尾車部屋を検索すると、「現在も存在するのか」「別の部屋として名前が残っているのか」「誰が継承したのか」といった疑問が浮かびます。これらを整理するには、相撲部屋の組織、親方の年寄名跡、力士個人の所属という3つの要素を分けて考える必要があります。
誤解1:押尾川部屋は尾車部屋の名前を変えただけ
これは正確ではありません。押尾川部屋は元豪風の押尾川親方が独立して新設した部屋です。尾車部屋の閉鎖に伴って所属員の一部が移ったという関係はありますが、旧部屋をそのまま改称したわけではありません。
誤解2:元嘉風の中村部屋は、閉鎖と同時にできた
これも時系列が異なります。中村親方は2022年2月に二所ノ関部屋へ移籍し、その後、2024年6月1日付で中村部屋を新設しました。尾車部屋の閉鎖直後から中村部屋が存在していたわけではありません。
誤解3:現在の尾車親方が旧尾車部屋を率いている
2026年現在の年寄・尾車は、元幕内・琴恵光の尾車充隆です。所属先は佐渡ヶ嶽部屋であり、旧尾車部屋の師匠だった元大関・琴風とは別人です。年寄名跡が引き継がれていることと、相撲部屋そのものが継承されていることは区別しなければなりません。
こうした違いを見分ける際は、日本相撲協会の公式発表で「部屋の新設・閉鎖」「所属員の転属」「年寄名跡の襲名」をそれぞれ確認すると、情報を整理しやすくなります。部屋名や親方名が似ていても、制度上の意味は異なるためです。
【尾車部屋】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:尾車部屋は2026年現在も存在していますか?
A1:いいえ。尾車部屋は2022年2月7日付で閉鎖されました。現在は旧尾車部屋という名称の相撲部屋は存在せず、所属していた力士や親方は押尾川部屋、二所ノ関部屋、その後に独立した中村部屋などへと分かれています。
Q2:尾車部屋の閉鎖理由は何ですか?
A2:師匠の元大関・琴風が65歳の定年を迎えることが大きな背景です。当初は2022年3月の春場所後を予定していましたが、大阪場所の宿舎が使えなくなる事情などから、1月の初場所後へ前倒しされました。
Q3:尾車部屋の所属力士は、その後どこへ移籍しましたか?
A3:2022年2月7日付で、所属員は押尾川部屋と二所ノ関部屋へ分かれました。その後、二所ノ関部屋に移籍していた元嘉風の中村親方は2024年に独立し、中村部屋を新設しています。現在の所属は力士ごとに異なるため、日本相撲協会の最新の部屋紹介で確認するのが確実です。
尾車部屋は、元大関・琴風が1987年に創設し、約35年にわたって力士を育てた相撲部屋です。元関脇・豪風や元関脇・嘉風をはじめとする力士が活躍し、2022年2月7日付の閉鎖後も、その系譜は押尾川部屋や中村部屋などへとつながっています。
閉鎖の背景には、師匠の定年と大阪場所の宿舎事情がありました。閉鎖後は所属員が分かれて移籍し、さらに中村親方が独立するなど、再編は段階的に進みました。また、年寄名跡「尾車」は元琴恵光へ引き継がれていますが、旧尾車部屋が再開したわけではありません。
【プロの結論】尾車部屋の現在を正確に理解するには、部屋そのものの存続と、親方・力士・年寄名跡それぞれの動向を分けて見ることが重要です。2026年現在、旧尾車部屋は閉鎖されたままですが、豪風や嘉風が築いた指導者としての歩み、そして友風らの現役生活は続いています。部屋の看板がなくなっても、そこで育った人材の歴史まで消えるわけではありません。