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近藤等則とは何者だったのか?IMA・代表作・2026年の再評価と逝去まで徹底解説

如月 拓 如月 拓 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
目次

近藤等則(こんどう・としのり)は、ジャズの枠を飛び越え、ロック、ファンク、電子音楽、即興演奏、さらには自然環境と音楽を結び付ける表現まで追求した日本を代表するトランペッターだ。ジョン・ゾーンやビル・ラズウェルら海外の実験音楽シーンの重要人物と交流し、1980年代にはバンド「IMA」で独自のサウンドを展開。1990年代以降は世界各地の自然の中で演奏する「地球を吹く」プロジェクトにも取り組んだ。

2020年10月17日、71歳で逝去した近藤だが、その音楽は過去の記録にとどまらない。2026年1月21日には代表作の一つ『空中浮遊』のCD再発も案内され、没後も作品に触れる機会が続いている。プロフィールや経歴、本名、代表曲、アルバム、逝去の経緯を整理しながら、近藤等則が音楽史に残した功績を振り返る。

【プロフィール】近藤等則の本名・生い立ち・音楽家としての原点

近藤等則

近藤等則は1948年12月15日、愛媛県今治市に生まれた。ジャズ・トランペッターであり、音楽プロデューサー、作曲家としても活動した人物だ。CDJournalなどの音楽資料では、本名は「近藤俊則」と紹介されている。「等則」は音楽家として広く知られる名前である。

みすず書房の著者紹介によると、近藤は中学1年生のときにトランペットと出会い、その後、京都大学へ進学した。工学部に入学し、文学部英米文学科を卒業した経歴を持つ。大学卒業後は東京へ移り、フリージャズの演奏家として本格的な活動を始めた。

フリージャズは、既存のコード進行や形式に必ずしも従わず、演奏者同士の反応や即興性を重視する音楽だ。近藤はこの考え方を基盤にしながら、トランペットの音色そのものを変化させる表現や、電子的な加工を取り入れた演奏へと進んでいった。

近藤の特徴は、単に高度な演奏技術を披露することにとどまらなかった点にある。楽器の音をどこまで変えられるのか、音楽はどのような場所で成立するのか、異なる文化やジャンルをどのように接続できるのか。こうした問いを、作品やライブ活動を通して探り続けた。

そのため、近藤を「ジャズのトランペッター」という一つの肩書だけで理解するのは難しい。演奏家、バンドリーダー、プロデューサー、映像作品の制作者という複数の顔を持っていたことが、長いキャリアを読み解く鍵になる。

【経歴・年表】ニューヨークからIMA、「地球を吹く」へ

近藤等則の経歴をたどると、海外の即興音楽シーンへの参加、独自のバンドIMAの結成、そして自然を舞台にしたプロジェクトという三つの転換点が浮かび上がる。拠点を移すたびに音楽の方向性を広げ、同じスタイルにとどまらない活動を続けた。

時期出来事・作品音楽活動上の意味
1948年愛媛県今治市に生まれる中学1年生でトランペットを始める
1972年ごろ京都大学卒業後、東京へ移るフリージャズ奏者として活動を本格化
1978年ニューヨークへ渡るジョン・ゾーンやビル・ラズウェルらと交流
1979年『FUIGO FROM A DIFFERENT DIMENSION』ソロ作品を通じて独自の表現を展開
1982年東京でIMAレーベルを設立自主的な音楽制作の基盤を整える
1983年『空中浮遊』を発表ファンクやフュージョンを取り入れた代表作
1984年近藤等則&IMAを結成、『大変』を発表バンドとしての活動を本格化
1985年『METAL POSITION』を発表IMAの作品群を拡充
1993年IMAの活動に区切りを付け、アムステルダムへ拠点を移す「地球を吹く」プロジェクトを追究
2007年「地球を吹く in Japan」を開始日本各地の自然を舞台にした演奏へ展開
2012年活動拠点を日本へ戻す寺社での奉納演奏や音楽祭などにも取り組む
2013年映画『地球を吹く in Japan』が完成自然と演奏を結ぶ活動を映像作品として記録
2019年IMAが約25年ぶりに復活ライブを開催過去のバンド活動を改めて振り返る機会に
2020年10月17日71歳で逝去長年にわたる演奏・制作活動に幕を下ろす
2026年1月21日『空中浮遊』のCD再発が案内される代表作を改めて聴く機会が続く

この年表で注目したいのは、近藤が海外進出を一時的な経験で終わらせなかったことだ。ニューヨークでの活動は、異なる音楽的背景を持つ演奏家との共同作業につながり、その後のIMAやソロ作品にも影響を与えた。

また、アムステルダムへの移住と日本への帰国も、単なる居住地の変更ではない。スタジオやライブハウスだけでなく、砂漠や山岳地帯、日本各地の自然を演奏の場として捉えるようになり、音楽を成立させる環境そのものへ関心を広げていった。

東京経済大学の訃報によると、近藤は2010年4月から2014年3月まで、同大学コミュニケーション学部の客員教授を務め、「表現と批評」「身体表現ワークショップ」などを担当した。学生と北海道や富士山麓で合宿し、ドキュメンタリービデオを制作するプロジェクトにも取り組んでいる。演奏活動だけでなく、表現について考え、実践する場を次世代と共有していた。

【IMAと代表作】『空中浮遊』『大変』『METAL POSITION』は何が違う?

近藤等則の代表的な音楽活動を知るうえで欠かせないのが、ソロ名義の作品と近藤等則&IMAのアルバムだ。特に1980年代の作品群には、即興演奏の自由さと、ファンクやフュージョンのリズム、電子的な音響を融合させる姿勢が表れている。

1982年にIMAレーベルを設立した近藤は、1984年に近藤等則&IMAを結成した。バンドでは、トランペットを中心に据えながら、ギター、ベース、ドラム、電子音などを組み合わせ、従来のジャズバンドとは異なる音楽を目指した。

タワーレコードの追悼記事などで紹介された作品を中心に、代表的なアルバムと聴きどころを整理する。

『FUIGO FROM A DIFFERENT DIMENSION』(1979年)

ニューヨークでの活動を経て発表したソロ作品。近藤のキャリアを追う際に重要な初期作品であり、IMA結成以前の表現を知る手掛かりになる。

『空中浮遊』(1983年)

近藤等則=チベタン・ブルー・エアー・リキッド・バンド名義の作品。ギタリストの渡辺香津美をはじめ、ロドニー・ドラマー、セシル・モンロー、豊住芳三郎らが参加した。ジャズ資料館の作品情報では、1983年6月の録音が確認できる。

収録曲には「楽々々」「七拍子」「軽快足踏音曲」「瀬戸内BLUE」「若い娘のハネ踊り」「空のワレ目」「エライコッチャ」などが並ぶ。Billboard JAPANの商品解説でも、エレクトリック・ファンクを取り入れた作品として紹介されている。近藤の鋭いトランペットとリズムセクションの組み合わせを味わいたい人に向く一枚だ。

『大変』(1984年)

近藤等則&IMAの作品。ジャズの即興性に加え、バンドとしてのアンサンブルや多彩な音楽要素が聴きどころとなる。ビル・ラズウェルもテープ演奏の形で参加しており、近藤と海外の実験的な音楽シーンとの接点をうかがえる。

『METAL POSITION』(1985年)

IMAの初期を代表するアルバムの一つ。『大変』と並べて聴くことで、近藤がソロの実験性をバンドのサウンドへどう展開したのかを比較できる。

『記憶』(1996年)

DJ KRUSHとのコラボレーション作品。ジャズのトランペットとクラブミュージックの接点を探るうえで重要な作品であり、近藤が特定のジャンルにとどまらなかったことを示している。

『The 吉原』(2003年)

端唄家元の栄芝とのコラボレーション作品。伝統的な日本の歌唱とトランスなどの現代的な音楽表現を組み合わせ、異なる音楽文化を接続する近藤らしい試みとなった。

なお、「代表曲」は人によって選び方が異なる。近藤の場合、歌もののヒット曲だけでキャリアを整理するより、アルバム全体の構成や即興演奏、コラボレーションを含めて聴く方が、その音楽的な広がりを捉えやすい。

【海外での評価】ジョン・ゾーン、ビル・ラズウェルとの交流が示すもの

近藤等則の国際的な活動を語るうえで、ジョン・ゾーンとビル・ラズウェルの名前は欠かせない。近藤は1978年にニューヨークへ渡り、即興音楽や実験的な音楽制作に関わる演奏家たちと交流した。

ジョン・ゾーンは、ジャズ、即興演奏、映画音楽などを横断するサックス奏者・作曲家。一方、ビル・ラズウェルは、ダブやファンク、実験音楽など幅広い領域で活動してきたベーシスト、プロデューサーだ。近藤との関係は、彼の音楽が日本のジャズシーンだけに閉じていなかったことを示す。

近藤のトランペットは、旋律を美しく奏でるためだけの楽器ではなかった。音を引き延ばす、鋭いノイズを生み出す、電子的な加工によって質感を変えるといった方法で、楽器そのものの可能性を広げた。こうした姿勢は、既存のジャンルや演奏形式を固定的に捉えない実験音楽の考え方と親和性が高い。

ただし、近藤の音楽を「前衛的」という言葉だけで片付けるのも適切ではない。『空中浮遊』にはファンクやフュージョンのリズムがあり、IMAの作品にはバンドとしての推進力がある。即興性と聴きやすさ、実験性と身体的なグルーヴを共存させようとした点が、彼の表現を特徴付けている。

近藤はハービー・ハンコック、布袋寅泰、坂本龍一、エレファントカシマシなど、ジャンルの異なるアーティストとの共演でも知られる。タワーレコードの追悼記事でも、ジャズに限らない幅広い活動が紹介されている。

近藤等則の評価を考える際には、商業的なヒットの数だけで測るのではなく、どのような音楽家と共同作業を行い、どのような音響表現を切り開いたのかを見る必要がある。海外の即興音楽シーンとのつながりは、その独自性を理解するための重要な手掛かりだ。

【地球を吹く】自然の中でトランペットを奏でたライフワーク

近藤等則の活動の中でも、とりわけ独創的なのが「地球を吹く」プロジェクトだ。これは世界各地の大自然の中で、トランペットによる即興演奏を通じて、その場所や環境との共鳴を探る取り組みである。

みすず書房の著者紹介では、ネゲブ砂漠、アンデス、ヒマラヤ、マッキンリーなどを舞台に、近藤がエレクトリック・トランペットを吹くプロジェクトを追究したことが説明されている。音楽活動の拠点をアムステルダムへ移した1990年代以降、この構想は近藤のライフワークとして重要性を増していった。

このプロジェクトの特徴は、自然を単なる背景として扱わないことにある。演奏会場の音響設備や観客の反応を前提にするのではなく、風景、空気、地形、演奏する身体の感覚を含めて、音楽が生まれる状況そのものを作品の一部として捉えている。

2007年には「地球を吹く in Japan」が始まり、沖縄、熊野、阿蘇、月山、富士山麓など、日本各地の自然の中で演奏を重ねた。2013年には、近藤自身が監督・作曲・演奏を手掛けたドキュメンタリー映画『地球を吹く in Japan』が完成している。

また、2012年に日本へ活動拠点を戻して以降は、広島・厳島神社で世界平和をテーマにした音楽祭を行ったり、奈良・東大寺で東日本大震災の犠牲者を追悼する奉納演奏を行ったりと、音楽を祈りや追悼の場と結び付ける活動にも取り組んだ。

「地球を吹く」は、自然の中で珍しい演奏を披露する企画というだけではない。近藤が長年追い求めた即興性を、ライブハウスや録音スタジオから解き放ち、地球という環境そのものに向けた表現へ広げる試みだった。音楽を人間同士のコミュニケーションにとどめず、自然との関係の中で捉え直したところに、このプロジェクトの意義がある。

【近藤等則の逝去】2020年10月17日に何があったのか

近藤等則は2020年10月17日夜、71歳で逝去した。訃報は翌18日、家族による公式発表を通じて伝えられ、東京経済大学も同月22日に元客員教授としての逝去を公表した。

タワーレコードや日刊スポーツなどの報道によると、家族の発表では、近藤が亡くなった当日、大阪で画家の黒田征太郎、ドラマーの中村達也とライブペインティングで共演することを楽しみにしていたと伝えられた。葬儀は家族葬で執り行うと案内されている。

逝去の経緯を考えるうえで重要なのは、亡くなる直前まで音楽や情報発信に関わっていたことだ。日刊スポーツなどは、近藤が逝去当日にも自身のYouTube企画についてSNSで発信していたと報じている。予定していた共演への期待も含め、活動を続ける中での突然の訃報として受け止められた。

一方、家族による訃報や大学の発表では、死因の詳細は公表されていない。逝去日と享年、当日の共演予定などは確認できるが、具体的な死因については、公式発表に記載された事実と区別して扱う必要がある。

近藤の死は、長年の音楽活動を知る人々にとって大きな喪失となった。しかし、そのキャリアは逝去によって過去のものになったわけではない。作品の再発やライブ映像、ドキュメンタリー、著書などを通じて、音楽と思想に触れる機会は現在も続いている。

【2026年最新】近藤等則の現在と、今聴きたい作品・評価のポイント

2026年現在、近藤等則本人は2020年に逝去しており、新たなライブ活動を行っているわけではない。一方、作品の再発やカタログの流通は続いている。Billboard JAPANの作品情報やCDJournalのディスコグラフィーでは、過去のアルバムが改めて紹介されている。

具体的な動きとして、CDJournalは『空中浮遊』の限定CDが2026年1月21日に発売されたと掲載している。1983年の作品が没後も再発対象となっていることは、近藤の音楽が一時代の記録にとどまらず、新たなリスナーに届く可能性を持っていることを示している。

近藤の作品を初めて聴くなら、目的に応じて入口を選ぶとよい。

  • グルーヴやリズムを楽しみたい人:『空中浮遊』。ファンクやフュージョンの要素があり、近藤の音楽に入る最初の一枚として取り組みやすい。
  • バンドとしての勢いや音の厚みを味わいたい人:近藤等則&IMAの『大変』『METAL POSITION』。トランペットを軸にしたアンサンブルの魅力を比較できる。
  • ジャズとクラブミュージックの接点に関心がある人:DJ KRUSHとの『記憶』。ジャンルをまたぐコラボレーションの一例として聴きたい作品だ。
  • 自然と音楽の関係に関心がある人:『地球を吹く in Japan』の映像作品や関連資料。演奏そのものだけでなく、近藤が音楽をどのような環境で捉えていたのかを知る手掛かりになる。

もちろん、近藤の作品がすべての人にとって聴きやすいとは限らない。明快なメロディーや定型的なジャズの演奏を期待すると、即興性の強い作品や電子的な音響に戸惑うこともあるだろう。反対に、音色の変化、リズムの揺れ、ジャンルの混交を楽しめる人にとっては、聴くたびに異なる発見がある。

近藤等則の評価を考える際の判断基準は、単純な知名度や売上だけではない。第一に、トランペットの音色と演奏方法をどこまで拡張したか。第二に、海外の即興音楽家や異ジャンルのアーティストとの共同作業を通じて、どのような表現を生み出したか。第三に、「地球を吹く」のように、音楽が成立する場所や環境そのものを問い直したか。この三つの観点から聴くと、近藤の仕事の広がりが見えやすくなる。

また、「近藤等則はフリージャズの人」「IMAの人」「自然の中で演奏する人」といった一つのイメージだけで捉えるのも、実像を狭めてしまう。どの時期の作品を聴くかによって、前面に出る音楽性は異なる。複数の時期を聴き比べることが、近藤等則という音楽家を理解する最も確かな方法の一つだ。

【近藤等則】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:近藤等則の本名は何ですか?
A1:CDJournalなどのプロフィールでは、本名は近藤俊則と紹介されています。近藤等則の名義でジャズ・トランペッター、音楽プロデューサーとして活動しました。

Q2:近藤等則はいつ亡くなりましたか?死因は公表されていますか?
A2:2020年10月17日夜に71歳で逝去しました。家族による公式発表や東京経済大学の訃報では、死因の詳細は公表されていません。

Q3:近藤等則の代表作を初めて聴くなら何がおすすめですか?
A3:まずは1983年の『空中浮遊』がおすすめです。ファンクやフュージョンの要素を含む作品で、近藤のトランペットとリズムの組み合わせを味わえます。さらにIMAの『大変』『METAL POSITION』や、DJ KRUSHとの『記憶』へ進むと、音楽性の広がりを比較できます。

近藤等則は、ジャズを出発点に、即興演奏、電子音響、ファンク、ロック、クラブミュージック、そして自然を舞台にした表現まで追究した音楽家だった。ジョン・ゾーンやビル・ラズウェルらとの交流、IMAでの活動、『空中浮遊』などの代表作、「地球を吹く」プロジェクトは、それぞれ異なる角度から彼の創造性を伝えている。

2020年10月17日に71歳で逝去した後も、2026年の『空中浮遊』再発に見られるように、作品を聴き直す機会は続いている。近藤の音楽を理解するには、一つのジャンルや代表作だけで判断せず、初期のソロ作品、IMAのアルバム、海外の音楽家との共作、自然の中での演奏を横断して聴くことが大切だ。

近藤等則の功績は、トランペットを巧みに演奏したことだけではない。楽器の可能性を広げ、異なる音楽文化をつなぎ、演奏する場所そのものを表現の一部に変えたことにある。その挑戦的な姿勢は、ジャンルの境界を越えて音楽を楽しむための手掛かりとして、これからも聴き継がれていくだろう。

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如月 拓

家計・住まい・制度の話題を担当。公的機関の公表資料と専門家の見解を照合し、推測と事実を分けて書きます。

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