「パンケーキ食べたい」のリズムネタで一世を風靡した夢屋まさる。テレビで見かけなくなったことで、「現在は何をしているの?」「芸人を引退した理由は?」「テレビ朝日のプロデューサーになったという話は本当?」と気になっている人も多いのと考えられます。
夢屋まさるは、2022年3月31日に芸人を引退し、同年4月にテレビ朝日へ新卒入社しました。2025年11月には、テレビ朝日のプロデューサーとしてバラエティー番組「カズレーザー100%」を手がけていることが報じられています。2026年現在の近況を理解するうえで重要なのは、芸能界から姿を消したのではなく、出演者から番組を作る側へとキャリアを転換した点です。
【2026年最新】夢屋まさるの現在はテレビ朝日のプロデューサー

夢屋まさるの現在を知るうえで、最も重要な節目となるのが2025年11月15日に配信されたMANTANWEBのインタビュー記事です。同記事では、元芸人の夢屋まさること鈴木優が、テレビ朝日でプロデューサーとして活動し、深夜バラエティー「カズレーザー100%」を担当していることが紹介されました。
「カズレーザー100%」は、カズレーザーが仲間とともに、さまざまなアイデアや興味のある企画に挑戦するバラエティー番組です。2025年の放送では、芸人の大鶴肥満とグラビアアイドルの動きを比較する企画や、まだ広く知られていない面白い芸人を紹介する「ヴィンテージ面白芸人」などが取り上げられました。
夢屋は、カズレーザーの発想力をテレビ番組として形にしたいという思いから企画を考えたと説明しています。単に芸能人時代の知名度を利用するのではなく、企画を立案し、出演者や番組の方向性を組み立てる仕事へと活動の軸を移したわけです。
2026年10月現在、具体的な仕事内容まで確認できる直近の主要報道は、2025年11月の同インタビューです。2026年に入ってからの担当番組や役職の変更については、同等の具体性を持つ新たな報道を確認できないため、現在の活動を説明する際には、この報道で明らかになった実績を基準にするのが適切です。
かつてはカメラの前で「パンケーキ食べたい」と繰り返す姿が印象的でしたが、現在は番組の企画や制作を担う立場です。テレビへの露出が減ったことと、テレビ業界から離れたことは、まったく別の話だと理解しておきたいところです。
【本名・学歴】夢屋まさるは鈴木優!慶應義塾大学卒業までの経歴
夢屋まさるの本名は鈴木優です。芸名で活動していた時期から一転し、テレビ朝日への入社後は本名を使って番組制作に携わるようになりました。2022年の入社報道でも、同局の新卒採用情報に本名と芸人としての経歴が掲載されていたことが伝えられています。
1998年4月2日生まれで、2026年10月時点では28歳。東京都出身で、慶應義塾大学経済学部を卒業しています。慶應義塾中等部から慶應義塾高校へ進み、大学では経済学を学びながら、お笑い芸人としても活動していました。
本人が2022年に慶應塾生新聞デジタルのインタビューで語った大学生活によると、経済学部に在籍しながら文学部の社会学系ゼミにも参加。写真や映像を通じてジェンダーやLGBTなどの社会課題を考える研究にも取り組んでいました。芸人活動と学業を両立していたことがうかがえます。
また、大学生活については、芸能活動と勉強を並行しやすかったことや、仕事と試験が重なった際に大学側の制度に助けられたことも振り返っています。単に大学名が知られているというだけでなく、学生生活を送りながら芸人としての仕事も続けていた点が、夢屋の経歴の特徴です。
芸人としてブレークした後に大学を卒業し、就職活動を経てテレビ朝日に入社したという流れを見ると、芸能活動と社会人としてのキャリアを、本人が別々の段階として考えていたことがわかります。
【経歴・年表】おもしろ荘のブレークから芸人引退、テレビ朝日入社まで
夢屋まさるのキャリアは、短期間で人気を獲得した芸人時代と、テレビ局員として経験を積んだ時期に大きく分けられます。主な出来事を時系列で整理します。芸人引退を突然の決断と捉えるよりも、ブレーク後から進路を考え、段階的に転身した経緯に注目すると全体像が見えてきます。
| 時期 | 出来事 | ポイント |
|---|---|---|
| 2016年 | 高校2年生のころに芸人として活動 | 学生生活と芸能活動を両立 |
| 2019年1月 | 「ぐるナイ おもしろ荘」に出演 | 「パンケーキ食べたい」でブレーク |
| 2019年10月ごろ | 芸人引退を決意 | 人気の維持や今後のキャリアを考慮 |
| 2021年9月 | 慶應義塾大学を卒業 | 経済学部で学ぶ |
| 2022年1月29日 | 芸人引退を公表 | サンミュージック退所と新しい進路を発表 |
| 2022年3月27日 | 最初で最後の単独ライブを開催 | 芸人としての活動を締めくくる舞台 |
| 2022年3月31日 | 芸人を引退、事務所を退所 | 芸能活動に区切りをつける |
| 2022年4月 | テレビ朝日に新卒入社 | コンテンツ制作・ビジネス部門へ |
| 2023年4月 | 「ジェシカ美術部」の企画・構成を担当 | 真空ジェシカ初の冠番組に携わる |
| 2024年ごろ | バラエティー制作部へ異動 | 「ハマスカ放送部」「激レアさんを連れてきた。」の制作に参加 |
| 2025年11月 | 「カズレーザー100%」のプロデューサーとして報道 | 20代で番組を統括する立場に |
この年表で押さえておきたいのは、芸人を引退してすぐにテレビ朝日のプロデューサーになったわけではないという点です。入社当初はビジネスプロデュース局に所属し、配信や番組イベントなどの仕事を経験。その後、自ら企画書を提出し、番組制作の現場へと活動範囲を広げています。
【引退理由の真相】夢屋まさるはなぜブレーク中に芸人を辞めたのか
夢屋まさるの引退理由について、本人が具体的に説明した重要な機会が、2022年2月のENCOUNTのインタビューと、同年3月の慶應塾生新聞デジタルのインタビューです。いずれも、本人の発言から引退に至る考え方をたどることができます。
本人によると、芸人を辞めると決めたのは2019年10月ごろ。ちょうど「パンケーキ食べたい」で知名度を獲得した時期でした。自分が演じるキャラクターは一つの到達点に達したと感じ、同じ人気を維持したり、さらに上を目指したりするには大きな難しさがあると考えたといいます。
ここで重要なのは、引退の決断が2022年の発表直前ではなかったことです。ブレーク後の早い段階から将来を考え、芸人としての活動を続ける以外の選択肢を検討していたのです。
慶應塾生新聞デジタルのインタビューでは、長く同じネタを続けることだけを目標にするのではなく、芸人として得た経験を別の分野で生かすほうが、自分にとっても社会にとっても有意義ではないかと考えた趣旨を語っています。
また、2021年3月末に引退する選択肢もあったものの、新型コロナウイルスの影響で生活が大きく変わったことなどを踏まえ、できなかったことに取り組む期間を設けたと説明しています。引退は、大学卒業と就職という節目に合わせた計画的な進路変更だったと読み取れます。
では、サンミュージックとのトラブルや、芸人としての活動が突然立ち行かなくなったことが理由だったのでしょうか。本人が公表した説明で中心となっているのは、人気の維持に対する考えと、将来のキャリア選択です。少なくとも、引退を説明する本人のインタビューでは、事務所との対立や不祥事が主な理由として語られているわけではありません。
2022年1月29日、夢屋はSNSなどを通じて、3月31日をもってサンミュージックを退所し、芸人を引退すると発表しました。3月27日には最初で最後の単独ライブを開催。高校時代から続けてきた芸人活動に、自分自身で区切りをつけました。
【テレビ朝日での仕事】ジェシカ美術部からカズレーザー100%へ
テレビ朝日入社後の夢屋まさるは、最初から番組プロデューサーとして仕事をしていたわけではありません。本人のインタビューによると、入社当初はビジネスプロデュース局に配属され、配信関連や番組イベントなど、放送以外の収益に関わる仕事を経験しました。その傍ら、社内の企画募集枠「そだてれび」に企画書を提出していたといいます。
最初の大きな成果の一つが、2023年4月にスタートした「ジェシカ美術部」です。お笑いコンビ・真空ジェシカの初冠番組で、夢屋は本名の鈴木優として企画・構成を担当。芸人時代に培った出演者への理解や、お笑いのアイデアを番組に反映させる機会を得ました。
その後、バラエティー制作部に異動し、「ハマスカ放送部」や「激レアさんを連れてきた。」の制作にも携わりました。本人は、優れたディレクターの仕事を間近で学ぶ一方、映像編集や色味の調整といった技術面では、自分の適性に難しさを感じたと振り返っています。
そこで新たに目指したのが、番組全体を統括するプロデューサーでした。本人は、細かな調整を得意とすることや、芸人時代に築いた人脈をキャスティングに生かせる可能性を上司に相談し、挑戦する機会を得たと説明しています。
こうしてプロデューサーとして手がけた番組が「カズレーザー100%」です。カズレーザーは芸人時代の事務所の先輩で、夢屋が芸人を辞める際に最初に相談した相手でもありました。カズレーザーの自由な発想をテレビ番組にしたいという考えが、企画の出発点になっています。
このキャリアには、芸人としての経験を制作現場に持ち込むという特徴があります。出演者の立場を理解できることは、企画の魅力を見極めたり、芸人の個性が伝わる番組を考えたりするうえで、一つの強みになり得ます。ただし、本人のキャリアはまだ発展途上であり、今後どのような番組を担当するかによって、プロデューサーとしての評価も積み重なっていく段階です。
【誤解を整理】芸名・引退後のテレビ出演・プロデューサーの実態
夢屋まさるについては、「引退したのにテレビの仕事をしているのはなぜか」「芸名はもう使っていないのか」といった疑問も生まれやすいところです。ここでは、本人のインタビューや報道から分かるポイントを整理します。
芸人を引退したことと、テレビ業界を離れたことは違います。夢屋は芸人としての活動を終えた後、テレビ朝日の社員として番組制作に携わっています。芸能人としてテレビに出演する機会が減った一方で、制作スタッフとしてテレビ番組を作る仕事を続けてきました。
また、2023年のMANTANWEBのインタビューでは、芸名「夢屋まさる」を番組の宣伝などのために残していると説明していました。当時は芸名を消したいという思いも語っていましたが、2025年11月のインタビューでは考えが変わり、芸名を仕事上の強みの一つとして捉えるようになったと明かしています。
つまり、芸名を残しているから芸人として復帰したということではありません。番組制作の仕事においても、過去の知名度が話題づくりや番組の認知向上につながることがあります。夢屋本人も、その点を仕事に生かしていると説明しています。
もう一つ注目したいのが、20代でプロデューサーに抜てきされた背景です。本人は、社内で比較的早い段階での挑戦だったとしながらも、経験不足を自覚していることや、社内でプロデューサーが不足していた事情にも触れています。したがって、異例の抜てきを単純に成功の証しと捉えるよりも、企画を出し続けた努力と、組織側が挑戦の機会を与えたことの両面から見る必要があります。
夢屋が2025年のインタビューで語った今後の目標は、賞レースの決勝進出などに限らず、面白い芸人が広く知られるきっかけを作ることです。自分を発掘した「おもしろ荘」のように、新しい才能を世に送り出す番組を作りたいという考えには、出演者から制作者へ立場を変えた現在の方向性が表れています。
【夢屋まさる】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:夢屋まさるは2026年現在、何をしていますか?
A1:テレビ朝日の社員として番組制作に携わっています。2025年11月のMANTANWEBの報道では、プロデューサーとしてバラエティー番組「カズレーザー100%」を担当していることが紹介されました。2026年の担当番組に関する新たな詳細は、直近の主要報道だけでは確認できません。
Q2:夢屋まさるの本名と学歴は?
A2:本名は鈴木優です。慶應義塾中等部、慶應義塾高校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業しています。学生時代から芸人として活動し、大学卒業後の2022年4月にテレビ朝日に入社しました。
Q3:夢屋まさるが芸人を引退した本当の理由は何ですか?
A3:本人は、2019年10月ごろに引退を決意したと説明しています。「パンケーキ食べたい」でブレークしたキャラクターを維持し、さらに人気を伸ばすことの難しさを感じ、芸人としての経験を別の分野に生かそうと考えたことが主な理由です。
Q4:夢屋まさるはサンミュージックを退所した後、テレビ朝日に入社したのですか?
A4:はい。2022年3月31日をもってサンミュージックを退所し、芸人を引退。同年4月にテレビ朝日に新卒入社しました。芸人としての活動と、テレビ局員としてのキャリアは別の段階にあります。
Q5:「ジェシカ美術部」と「カズレーザー100%」では何を担当していますか?
A5:「ジェシカ美術部」では企画・構成を担当し、その後は「カズレーザー100%」のプロデューサーとして番組を手がけています。いずれも、芸人時代の経験やお笑いへの関心を生かした番組制作の仕事です。
夢屋まさるの現在を理解するうえで大切なのは、「テレビで見かけなくなった」という現象だけでキャリアを判断しないことです。2019年に「おもしろ荘」でブレークした後、本人は早い段階から引退と就職を考え、2022年に芸人としての活動を終えました。その後はテレビ朝日の社員として経験を積み、2023年には「ジェシカ美術部」の企画・構成を担当。2025年には「カズレーザー100%」のプロデューサーとして報じられました。
引退理由も、人気がなくなったからという単純な説明ではありません。本人が語ったのは、ブレークしたキャラクターを長期的に維持する難しさと、芸人としての経験を別の仕事に生かしたいという考えでした。慶應義塾大学を卒業し、新卒でテレビ朝日に入社した経緯からも、計画的なキャリア選択だったことがうかがえます。
そして、夢屋まさるの転身には、芸能活動で得た知名度や経験を、次の仕事でどう生かすかという視点があります。本人は、面白い芸人が世に出るきっかけを作りたいと語っています。かつて自分が「おもしろ荘」を通じて注目されたように、今度は番組を作る側として新しい才能を届けられるのか。2026年以降の活動を見る際には、肩書だけでなく、どのような番組や企画を生み出していくのかに注目したいところです。