栃乃若(とちのわか)こと栃乃若導大は、兵庫県尼崎市出身の元大相撲力士です。本名は李大源(イ・デウォン)。春日野部屋に所属し、恵まれた体格と左四つからの寄りを武器に番付を上げ、2012年3月場所には自己最高位の西前頭筆頭に到達しました。
一方、2014年12月には26歳の若さで現役引退を発表しています。引退理由は何だったのか、現在は何をしているのか、そして身長196cm・体重181kgというプロフィールは正確なのか。日本相撲協会の公式力士プロフィールや当時のスポーツ報道をもとに、2026年時点で押さえておきたい経歴と人物像を整理します。
【栃乃若のプロフィール】本名・読み方・国籍・身長体重を解説

栃乃若導大は、1988年4月6日生まれの元大相撲力士です。四股名の読み方は「とちのわか みちひろ」。日本相撲協会の公式プロフィールにも、この読み方と本名の李大源が掲載されています。
愛称は「リー」。兵庫県尼崎市出身で、春日野部屋に所属していました。報徳学園高校時代に高校相撲で実績を残し、将来を期待された大型力士として角界に入った人物です。
栃乃若のプロフィールを確認する際、注意したいのが身長と体重の表記です。一般の人物紹介では身長196cm・体重181kg、さらに身長の最高値を197cmとする記述も見られます。一方、日本相撲協会の公式力士プロフィールに掲載されている数値は、身長195.0cm・体重177.0kgです。
数値に違いがあるため、公式記録を参照する場合は日本相撲協会の掲載値を基準にするのが適切です。測定時期やプロフィールの更新時期によって掲載値が異なる可能性はありますが、196cm・181kgという数値を公式プロフィールと同一の記録として扱うことはできません。
国籍については、当時の人物紹介などで韓国籍の在日コリアン3世として紹介されています。日本で生まれ、尼崎市で育った経歴と、国籍に関する情報は分けて理解する必要があります。
栃乃若の基本情報を整理すると、次のとおりです。
- 四股名:栃乃若 導大(とちのわか みちひろ)
- 本名:李 大源(イ・デウォン)
- 生年月日:1988年4月6日
- 出身地:兵庫県尼崎市
- 所属部屋:春日野部屋
- 国籍:韓国と紹介されている
- 身長・体重:日本相撲協会の公式プロフィールでは195.0cm・177.0kg
- 得意技:左四つ・寄り
- 最高位:西前頭筆頭
- 生涯戦歴:267勝244敗11休
【栃乃若の経歴】春日野部屋への入門から最高位までの歩み
栃乃若の相撲人生をたどるうえで重要なのは、学生相撲で実力を示した後、比較的短期間で関取、そして幕内へと昇進した点です。日本相撲協会の公式プロフィールによると、2007年1月場所に初土俵を踏み、2010年9月場所で新十両、2011年5月の技量審査場所で新入幕を果たしました。
報徳学園高校時代には高校横綱の実績を持ち、入門前から将来を期待されていました。恵まれた体格を生かして番付を上げ、2012年3月場所には自己最高位となる西前頭筆頭まで昇進しています。
その後は幕内上位で苦戦する場所が続きました。十両への陥落と再入幕を経験しながら土俵に立ち続けましたが、2014年11月場所では3勝12敗と大きく負け越し、翌場所の十両陥落が決定的になりました。そして同年12月、引退を決断します。
主な経歴を時系列で
| 時期 | 出来事 | 記録・ポイント |
|---|---|---|
| 1988年4月6日 | 誕生 | 兵庫県尼崎市出身 |
| 高校時代 | 報徳学園高校で相撲に取り組む | 高校横綱の実績を残す |
| 2007年1月場所 | 春日野部屋から初土俵 | 当初のしこ名は「李」 |
| 2009年11月ごろ | 四股名を栃乃若に改める | 「栃乃若 導大」として土俵に立つ |
| 2010年9月場所 | 新十両 | 関取に昇進 |
| 2011年5月場所 | 新入幕 | 幕内力士となる |
| 2012年3月場所 | 自己最高位に到達 | 西前頭筆頭、成績は5勝10敗 |
| 2014年11月場所 | 幕内で苦戦 | 東前頭15枚目で3勝12敗 |
| 2014年12月15日 | 引退届を提出 | 翌16日に引退会見 |
| 2015年1月場所 | 公式プロフィール上の引退場所 | 最後の番付は西十両6枚目 |
| 2015年1月31日 | 断髪式 | 現役時代の大銀杏に別れを告げる |
この年表から分かるのは、栃乃若が単に幕内に在籍した力士ではなく、学生相撲での実績を土台に、入門後数年で最高位まで駆け上がった力士だったということです。公式プロフィールに記録された生涯戦歴は267勝244敗11休、幕内戦歴は106勝156敗8休です。
なお、日本相撲協会の公式プロフィールでは幕内優勝、十両優勝、三賞、金星はいずれも記録されていません。最高位の高さと、タイトルや受賞歴の有無は別の評価軸として見る必要があります。
【最高位は西前頭筆頭】2012年3月場所で何が起きたのか
栃乃若の力士人生で大きな節目となったのが、2012年3月場所です。番付は西前頭筆頭。横綱・大関をはじめとする上位陣と対戦する機会が増える、厳しい位置まで上り詰めました。
当時のスポーツ報道によると、栃乃若は同場所の初日に大関・稀勢の里を破っています。大型力士としての圧力を示し、上位でも通用する可能性を印象づけた一番でした。しかし、場所全体の成績は5勝10敗。最高位に到達したことと、その地位で勝ち越すことの難しさが同時に表れた場所でもあります。
続く5月場所では2勝13敗と大きく負け越し、その後は十両への陥落も経験しました。2013年には再入幕を果たし、幕内で勝ち越す場所もありましたが、上位に定着するには至りませんでした。
相撲では、体格の大きさや学生時代の実績だけで番付を維持できるわけではありません。幕内上位では相手の立ち合いや攻めの速さへの対応、組み手争い、土俵際の判断など、細かな技術と安定感が大切です。栃乃若の歩みは、最高位に到達する力と、その地位で成績を残し続ける力が必ずしも一致しないことを示しています。
ただし、最高位が前頭筆頭だったという事実は、栃乃若が幕内の上位で戦う実力を持っていた証拠です。幕内上位への昇進そのものを軽視するのではなく、その後の成績も含めてキャリア全体を評価することが大切です。
【栃乃若の引退理由】26歳で土俵を去った決断の背景
栃乃若は2014年12月15日に日本相撲協会へ引退届を提出し、翌16日に引退会見を開きました。当時26歳。力士としてはまだ若く、学生時代から期待されてきた大型力士の突然の引退は、相撲界でも驚きをもって受け止められました。
日刊スポーツやデイリースポーツの当時の報道によると、本人が説明した引退理由の中心にあったのは、思うような相撲が取れないことへの苦悩と、現役を続ける気力を保つことの難しさでした。本人は、応援してくれる人たちの期待に応えられず、ふがいない相撲を見せ続けることに限界を感じていたと説明しています。
引退は突然の決断に見えましたが、会見では約2年前から引退を考えていたことも明かされました。師匠の春日野親方に引退を申し出たのは、冬巡業から帰京した後だったと報じられています。
成績面でも、引退直前の状況は厳しいものでした。2014年11月場所では東前頭15枚目で3勝12敗。直近の場所で二桁の黒星が続き、翌2015年1月場所での十両陥落が避けられない状況でした。
ただし、引退理由を成績の悪化だけで説明するのは正確ではありません。当時の報道で本人が強調していたのは、身体の故障を理由にするのではなく、期待に応えられない自分に対して気力を維持することが難しくなったという点です。本人の説明と、引退直前の成績をあわせて見る必要があります。
また、師匠が突然の引退に驚いたことも報じられています。周囲が将来を期待していたことと、本人が内面で抱えていた悩みには隔たりがあったようです。引退会見の内容から読み取れるのは、外部からの期待と、自分自身が納得できる相撲を取り続けることの間で葛藤していた姿です。
2015年1月31日には断髪式が行われ、春日野親方をはじめ、部屋の関取衆や親方衆など関係者が参加しました。デイリースポーツは、断髪式で母親からねぎらいの言葉をかけられた栃乃若が涙を流したことも伝えています。土俵を離れる決断の重さをうかがわせる場面でした。
【栃乃若の現在】引退後の仕事や2026年最新情報
2026年時点で栃乃若の現在を調べる際、まず押さえておきたいのは、日本相撲協会の公式力士プロフィールで引退力士として掲載されていることです。現役力士として番付に載っているわけではなく、2014年12月に引退を発表し、2015年1月場所を引退場所とする記録が残っています。
引退直後の2015年1月に行われた断髪式の報道では、本人の今後の身の振り方は未定と伝えられていました。相撲界で学んだ人とのつながりを大切にしながら、次の世界でも頑張りたいという趣旨の発言も報じられています。
一方、2026年10月時点で、引退後の職業や所属先、現在の活動を継続的に伝える確かな公表情報は限られています。本人が現在どのような仕事に就いているのか、相撲関連の活動をしているのかといった具体的な近況は、広く確認できる情報だけでは断定できません。
そのため、「現在は飲食店を経営している」「相撲関係の仕事に就いている」など、具体的な職業を確定事項として紹介するのは避けるべきです。引退後に一般社会で生活している可能性はありますが、職業や居住地などを裏付ける公表情報がなければ、本人の現在として断定することはできません。
また、現役時代の知名度が高かった力士でも、引退後はテレビ出演やSNSでの発信を継続するとは限りません。公の場に登場する機会が少ないことと、何らかの問題が起きていることは別の話です。近況が見つかりにくいという理由だけで、引退後の生活を推測する必要はありません。
栃乃若の現在について知りたい読者にとって、現段階で確実に押さえられるのは、2014年に現役を引退した元力士であることと、引退後の具体的な職業や活動については公表情報が限られていることです。今後、新たな本人発信や信頼できる報道が出れば、近況を把握する手掛かりになります。
【栃乃若の人物像】韓国籍・本名・得意技から見る力士としての特徴
栃乃若を理解するうえでは、四股名の由来や国籍だけでなく、どのような相撲を取っていたのかにも目を向けたいところです。本名の李大源は「イ・デウォン」と読み、四股名の栃乃若導大は「とちのわか みちひろ」と読みます。日本相撲協会の公式プロフィールでは、得意技として「左四つ・寄り」が記録されています。
左四つは、相手と組んだ際に左手を相手の右側の差し手として使う組み手です。そこから相手の体勢を崩し、前に出て土俵外へ運ぶ攻めが「寄り」です。栃乃若のような大型力士にとって、組んだ状態で圧力をかける相撲は持ち味を生かしやすい形といえます。
日本相撲協会の公式プロフィールに掲載された決まり手の傾向でも、寄り切りが中心となっています。相手を押し出す相撲や上手投げも記録されており、得意技として紹介される左四つ・寄りと、実際の取組の傾向が結び付いています。
一方、栃乃若の経歴には、国籍やルーツに関する検索も多く見られます。人物紹介では韓国籍の在日コリアン3世として説明されていますが、国籍や出自は個人の属性であり、相撲の成績や引退理由を直接説明するものではありません。競技者としての実績と、本人の背景に関する情報は分けて捉える必要があります。
また、「最高位が前頭筆頭」という情報から、三役経験者や幕内優勝経験者だったと誤解するのも避けたいところです。前頭筆頭は幕内上位の地位ですが、関脇・小結といった三役とは異なります。日本相撲協会の公式プロフィールでは、三賞や幕内優勝の記録はありません。
【プロの結論】 栃乃若の評価では、最高位の高さだけでなく、幕内上位で戦った実績、得意技、通算成績、そして本人が語った引退理由をあわせて見ることが重要です。学生相撲で評価され、短期間で前頭筆頭まで昇進した一方、上位で安定した成績を残し続けることには苦しみました。その両面を理解することで、期待された大型力士の歩みを、単なる成功や挫折の物語に矮小化せずに捉えられます。
【栃乃若】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:栃乃若の本名と読み方は? A1:本名は李大源(イ・デウォン)です。四股名の栃乃若導大は「とちのわか みちひろ」と読みます。
Q2:栃乃若の最高位は何ですか? A2:2012年3月場所の西前頭筆頭です。同場所は5勝10敗で終えましたが、初日には大関・稀勢の里を破っています。
Q3:栃乃若の身長と体重は? A3:一般の人物紹介では身長196cm・体重181kgとする記述があります。一方、日本相撲協会の公式プロフィールでは身長195.0cm・体重177.0kgと掲載されています。
Q4:栃乃若はなぜ引退したのですか? A4:本人は、思うような相撲が取れず、応援する人の期待に応えられないことへの苦悩や、現役を続ける気力を保つ難しさを説明しました。引退は2014年12月で、当時26歳でした。
Q5:栃乃若は現在何をしていますか? A5:2026年10月時点で、引退後の具体的な職業や活動を継続的に伝える確かな公表情報は限られています。現在の仕事や生活について、確定した情報として紹介できる内容は多くありません。
Q6:栃乃若の国籍はどこですか? A6:当時の人物紹介などでは韓国籍とされています。兵庫県尼崎市出身であることと、国籍に関する情報は区別して理解する必要があります。
栃乃若導大は、1988年4月6日生まれ、兵庫県尼崎市出身の元大相撲力士です。本名は李大源(イ・デウォン)。春日野部屋から2007年1月場所に初土俵を踏み、2010年9月場所で新十両、2011年5月場所で新入幕を果たしました。2012年3月場所には西前頭筆頭という自己最高位に到達しています。
しかし、幕内上位での成績は安定せず、2014年11月場所の3勝12敗などを経て、同年12月に引退を決断しました。本人が会見で説明したのは、期待に応えられないことへの苦悩と、相撲を続ける気力を維持する難しさでした。26歳で土俵を去った背景には、成績だけでは測れない葛藤がありました。
2026年現在、引退後の具体的な職業や活動については、公表情報が限られています。また、身長・体重は紹介媒体によって異なるため、日本相撲協会の公式プロフィールにある195.0cm・177.0kgという記載と、196cm・181kgとする人物紹介を混同しないことも大切です。
栃乃若の人物像を知るには、最高位や体格といった目立つ数字だけでなく、春日野部屋での経歴、左四つ・寄りを得意とした相撲、引退会見での本人の説明を合わせて見ることが欠かせません。記録に残る実績と、引退後に公表されている情報を分けて理解することが、栃乃若という力士の歩みを正確に知るための判断基準になります。