『クイズ!ヘキサゴンII』のオーディションで注目を集め、音楽ユニット「サーターアンダギー」のメンバーとしてデビューした松岡卓弥。番組終了後はソロ歌手として活動を続けましたが、思うように集客できない時期や、健康上の理由による活動休止も経験しました。
2026年10月現在、松岡卓弥は秋元康プロデュースの昭和歌謡グループ「MATSURI」のメンバーとして活動しています。2026年4月期にはテレビドラマにも初出演し、10月14日にはMATSURIの3rdシングル『恋の中央線』が発売されました。日刊スポーツやENCOUNTのインタビュー報道、グループの公式発表をもとに、ヘキサゴン時代から現在までの歩みを時系列で整理します。
【2026年最新】ヘキサゴン松岡卓弥は今何をしている?

松岡卓弥は、2026年10月現在、昭和歌謡とポップスを現代に届ける男性グループ「MATSURI」のメンバーとして、音楽活動を中心に芸能活動を続けています。グループは秋元康がプロデュースし、昭和の歌謡曲やポップスを令和の時代にリバイバルさせることをコンセプトに掲げています。
松岡は1989年8月1日生まれ、兵庫県出身。2026年10月時点で37歳です。2010年にサーターアンダギーとして芸能界での知名度を高めた後、ソロ歌手として再出発し、活動休止を経てMATSURIに加入しました。キャリアを振り返ると、グループへの加入は単なる再始動ではなく、歌手として3度目の大きな挑戦にあたります。
2026年の活動で特に注目されるのが、10月14日に発売されたMATSURIの3rdシングル『恋の中央線』です。JR東日本とのコラボレーション企画も実施され、11月30日まで中央線の15駅を対象としたデジタルスタンプラリーなどが展開されています。楽曲の世界観を音源の外へ広げる取り組みであり、グループの活動がライブやCD発売だけにとどまっていないことが分かります。
コンサート活動も継続中です。MATSURIの公式サイトでは、2ndコンサートツアー「歌う門には福来る」の開催情報が掲載され、2026年10月23日には2027年2月22日にSGCホール有明で大千穐楽公演を開催することも発表されました。
かつてテレビ番組の企画から生まれたユニットで活動していた松岡は、現在、昭和歌謡を軸としたグループの一員として新たなファン層を開拓しています。2026年の現在地を理解するには、ヘキサゴン時代の成功だけでなく、その後に経験した苦境も知っておく必要があります。
【ヘキサゴンのオーディション】応募1万1354通から選ばれた経緯
松岡卓弥の芸能界での大きな転機となったのは、2009年に開催されたフジテレビ系『クイズ!ヘキサゴンII』の企画「ヘキサゴンで歌いたい人オーディション2009」です。
チケットぴあのアーティスト紹介などによると、松岡は応募総数1万1354通の中から決勝に進出。2009年10月31日に開催された「ヘキサゴンファミリーコンサート2009」の昼公演中に行われた決勝戦で、コブクロの「STAY」を歌い、グランプリを獲得しました。
このオーディションの重要な点は、歌唱力を披露する機会がテレビ番組の企画と結びついていたことです。一般公募から選ばれた松岡は、オーディションの結果を足掛かりに、番組から誕生する新しい音楽ユニットのメンバーとなりました。
2010年2月10日、松岡は山田親太朗、森公平とともにサーターアンダギーのメンバーとしてデビューします。デビューシングルは『ヤンバルクイナが飛んだ』。同月14日に都内で開かれたデビューイベントには約3000人が集まったと、スポーツニッポンなどが報じています。
当初の松岡は、サーターアンダギーの楽曲披露を中心に『クイズ!ヘキサゴンII』に出演していました。その後、2011年3月2日放送分からクイズの解答者としても出演するようになり、同年9月の番組最終回まで出演を重ねました。
番組内では、いわゆる「おバカキャラ」として親しまれました。ENCOUNTの2026年7月のインタビューで、松岡は当時について、最年少メンバーとしてかわいがられ、島田紳助にもいじってもらう中で、自分が天然だと気づいたという趣旨の振り返りをしています。
ただし、松岡の芸能活動を「ヘキサゴンに出演していた人」という肩書きだけで捉えると、その後の経歴を見誤ります。オーディションで歌を評価され、ユニットでデビューし、番組終了後もソロ歌手として活動を継続したことが、現在のMATSURIにつながる出発点でした。
【サーターアンダギー】デビュー曲と解散理由を整理
サーターアンダギーは、松岡卓弥、山田親太朗、森公平の3人で結成された音楽ユニットです。フジテレビ系『クイズ!ヘキサゴンII』から誕生したグループとして、2010年2月に『ヤンバルクイナが飛んだ』でデビューしました。
ここで整理しておきたいのは、同曲が松岡のソロデビュー曲ではなく、サーターアンダギーとしてのデビューシングルだという点です。松岡個人のソロ歌手としての再出発は、ユニット解散後の2013年になります。
サーターアンダギーは音楽活動に加えて、番組出演やライブ、イベントなどを通じてファンを獲得しました。しかし、2011年9月に『クイズ!ヘキサゴンII』が終了すると、ユニットを取り巻く環境も変化します。
解散の経緯については、2012年12月15日付のデイリースポーツが詳しく報じています。メンバーは2012年の活動目標として、ライブ総動員1万人、イベント総動員3万人、配信5万ダウンロード、CD総出荷10万枚という4つの公約を掲げていました。
報道によると、ライブ、イベント、配信の3項目は達成したものの、CD総出荷10万枚の目標には届きませんでした。この公約未達成を受け、2013年2月24日に東京・SHIBUYA-AXで解散ライブを開催することが決まり、約3年間の活動に幕を下ろしました。
つまり、サーターアンダギーの解散理由は、単純にメンバーの不仲や松岡個人の問題として説明できるものではありません。公約の達成状況と、番組終了後の活動環境の変化を切り分けて考える必要があります。
ENCOUNTのインタビューで松岡自身も、ヘキサゴンという番組の後ろ盾があったからこそ成立していたユニットだったと振り返っています。番組が終わった後も同じ規模の支持を維持することは容易ではなく、ユニットの解散は、その後の松岡のキャリアに大きな転機をもたらしました。
【ソロ歌手時代】活動休止の経緯と引退説の真相
サーターアンダギー解散後、松岡卓弥はソロ歌手として活動を始めました。2013年5月15日にはソロ1stアルバム『SECOND DEPARTURE』をリリース。ライブやイベントを中心に歌手活動を展開し、舞台や映画など、俳優としての仕事にも取り組みました。
2015年からはソロ活動と並行して、3人組音楽ユニット「コタクラ」としても活動。活動の場を広げていましたが、サーターアンダギー時代のようにテレビ番組の知名度を背景とした大きな会場での活動を、個人名義で維持するのは簡単ではありませんでした。
2026年9月22日付の日刊スポーツは、松岡がTOKYO FMのラジオ番組「TOKYO SPEAKEASY」に出演した際、ソロ時代の苦境について語ったと報じています。松岡によれば、サーターアンダギー時代には何千人、何万人という観客の前に立っていた一方、ソロになるとファンが徐々に離れ、ライブの観客が5人まで減ったこともあったそうです。
ENCOUNTの2026年7月1日付インタビューでも、松岡は当時の生活について振り返っています。独立後、家賃を払う余裕がなくなり、キャリーケースだけを持って友人の家に泊めてもらう時期が約半年続いたと語りました。芸能活動を続けながらも、生活面で厳しい状況に直面していたことがうかがえます。
加えて、松岡は33歳ごろに突発性難聴を発症し、活動休止を余儀なくされました。ENCOUNTはこの健康上の問題を活動休止の経緯として伝え、日刊スポーツも本人がラジオ番組で耳の不調と休業について振り返ったと報じています。
では、松岡卓弥は芸能界を引退したのでしょうか。答えは、実際に引退したわけではない、ということです。
日刊スポーツの報道によると、松岡はソロ活動が厳しくなった時期に、普通の仕事に就くことも考え、引退を意識していました。活動休止中に出会ったのが、秋元康プロデュースの男性グループオーディションです。松岡は、これに合格できなければ引退しようと覚悟を決めて応募したと明かしています。
ENCOUNTのインタビューでも、松岡はオーディションに落ちた場合にはSNSをすべて消して引退するつもりだったと振り返っています。つまり、引退説には本人が実際に引退を考えていたという背景がありますが、引退を正式に発表して芸能活動を終えたわけではありません。
このオーディションで合格を勝ち取ったことが、MATSURIへの加入につながりました。活動休止はキャリアの終点ではなく、歌手としてもう一度挑戦するまでの転換期だったのです。
【松岡卓弥の経歴年表】ヘキサゴンからMATSURIまでを比較
松岡卓弥の歩みを理解するには、グループでのデビュー、ソロ活動、休止、再デビューという流れを時系列で見ると分かりやすくなります。主な出来事をまとめました。
| 時期 | 出来事・活動 | 主なポイント |
|---|---|---|
| 1989年8月1日 | 誕生 | 兵庫県出身。2026年10月時点で37歳。 |
| 2009年 | ヘキサゴンで歌いたい人オーディション | 応募総数1万1354通の中からグランプリを獲得。 |
| 2010年2月 | サーターアンダギーとしてデビュー | デビューシングルは『ヤンバルクイナが飛んだ』。 |
| 2011年9月 | 『クイズ!ヘキサゴンII』終了 | 番組の終了により、ユニットを取り巻く環境が変化。 |
| 2013年2月24日 | サーターアンダギー解散 | 公約のうちCD総出荷10万枚を達成できず、解散が決定。 |
| 2013年5月 | ソロ歌手として再出発 | 1stアルバム『SECOND DEPARTURE』をリリース。 |
| 2015年以降 | ソロ活動・コタクラでの活動 | 歌手活動を続けながら、活動の幅を広げる。 |
| 33歳ごろ | 健康上の理由で活動休止 | 突発性難聴により休業。その後、新たなオーディションに挑戦。 |
| 2023年 | MATSURIにつながるオーディションに合格 | 秋元康プロデュースのグループ企画で再起を目指す。 |
| 2025年1月 | MATSURIとしてデビュー | 初シングル『アヴァンチュール中目黒』をリリース。 |
| 2026年4月 | テレビドラマに初出演 | 日本テレビ系『10回切って倒れない木はない』で夏目孝彦役を演じる。 |
| 2026年10月 | MATSURIの3rdシングルを発売 | 『恋の中央線』をリリース。全国ツアーなどの活動も継続。 |
この年表から見えてくるのは、松岡のキャリアが一度のデビューで完成したものではないという点です。ヘキサゴンの企画から生まれたユニットで知名度を得た後、ソロ歌手として独立し、苦しい時期を経て、再びグループでの活動を選びました。
また、サーターアンダギーの解散と松岡個人の活動休止は、別々の出来事です。前者はグループの公約未達成を受けた解散、後者はソロ活動中に起きた健康上の問題です。この2つを混同すると、松岡がどのように現在の活動にたどり着いたのかを正しく理解できません。
【MATSURIの最新活動】歌唱力の評価と2026年の新たな挑戦
MATSURIは、昭和歌謡や昭和ポップスを現代に届けることをコンセプトに、2023年のオーディションを経て結成された6人組グループです。SHOW-WAと合わせて3000人以上の応募者から選ばれた12人が、6人ずつの2チームに分かれて活動しています。松岡はそのうちMATSURIのメンバーとして活動しています。
2025年1月には『アヴァンチュール中目黒』でデビューし、同年にはSHOW-WAとMATSURIが第67回日本レコード大賞新人賞を受賞しました。エイベックスの公式発表によると、MATSURIはデビューから半年で初の全国ツアーを開催し、5都市10公演で累計約9000人を動員しています。
松岡の歌唱力については、日刊スポーツの2026年9月23日付記事が、新曲『恋の中央線』の紹介とともにMATSURIのボーカル力を取り上げています。歌唱力への評価を具体的な活動から見るなら、オーディションでコブクロの「STAY」を歌ってグランプリを獲得した原点に加え、ソロ時代のライブ経験や、現在のグループでの歌唱活動が重要な材料になります。
2026年10月14日に発売された『恋の中央線』は、東京、神田、御茶ノ水、四ツ谷など、駅名が歌詞に登場する楽曲です。日刊スポーツの取材に対して、松岡は駅員になった気持ちで歌っているという趣旨のコメントをしています。さらにJR東日本とのキャンペーンでは、中央線の15駅を巡るデジタルスタンプラリーなどが実施され、楽曲の題材と実際の鉄道路線を結びつけています。
松岡個人の活動にも変化がありました。2026年4月期の日本テレビ系ドラマ『10回切って倒れない木はない』で、ホテルのベルマン・夏目孝彦役を演じ、ドラマ初出演を果たしています。エイベックスの公式発表では、本人が初めてのドラマ撮影に参加したことも紹介されました。
これは、歌手活動を軸にしながら、俳優としても新しい仕事に挑戦していることを示す動きです。ENCOUNTのインタビューで松岡は、演技を磨いて仕事の幅を広げ、将来的には主演を務め、その作品の主題歌をMATSURIで歌いたいという目標も語っています。
現在の松岡を知るうえでは、グループの活動だけでなく、こうした個人の仕事も見逃せません。ヘキサゴン時代に親しまれたキャラクターを残しながら、歌手としての経験を積み重ね、俳優業にも活動の範囲を広げている点が、2026年の特徴です。
【プロの結論】松岡卓弥のキャリアから分かること
松岡卓弥の経歴を追うと、芸能活動の継続には、個人の実力だけでなく、所属するグループや番組、ファンとの接点が大きく影響することが分かります。
サーターアンダギー時代の松岡は、テレビ番組の企画から生まれたユニットの一員として多くの観客の前に立ちました。しかし、番組終了後にソロ活動へ移ると、グループ時代とは異なる集客の難しさに直面します。本人が語った「ライブの観客が5人」という経験は、番組の知名度と個人名義の支持が必ずしも一致しないことを示しています。
その後、健康上の問題による活動休止を経て、松岡は再びオーディションに挑戦しました。MATSURIでは、これまでの歌手活動で積み重ねてきた経験を生かしながら、6人のグループとして新しいファン層に向き合っています。2026年のシングル発売や全国ツアー、ドラマ出演は、その再出発が具体的な活動として続いていることを示しています。
また、「引退説」を考える際には、本人が引退を考えていたことと、実際に引退したことを区別する必要があります。松岡は苦境の中で引退を覚悟した時期があったと明かしていますが、オーディションに合格し、現在もMATSURIのメンバーとして活動しています。
松岡卓弥の歩みは、ヘキサゴン時代の成功だけで語れるものではありません。ユニットでのデビュー、ソロ活動での苦境、活動休止、そしてMATSURIでの再挑戦までを一続きのキャリアとして見ることで、現在の活動の意味がより明確になります。
【ヘキサゴン松岡卓弥】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:松岡卓弥は2026年現在、何をしていますか? A1:2026年10月現在、秋元康プロデュースの昭和歌謡グループMATSURIのメンバーとして活動しています。10月14日には3rdシングル『恋の中央線』が発売され、コンサートツアーや俳優業にも取り組んでいます。
Q2:松岡卓弥のヘキサゴン時代のデビュー曲は何ですか? A2:サーターアンダギーとしてのデビュー曲は、2010年2月10日に発売された『ヤンバルクイナが飛んだ』です。松岡個人のソロ歌手としての再出発は2013年で、同年5月に1stアルバム『SECOND DEPARTURE』をリリースしました。
Q3:サーターアンダギーはなぜ解散したのですか? A3:2012年に掲げた4つの公約のうち、CD総出荷10万枚を達成できなかったことが解散決定の理由として報じられています。2013年2月24日に解散ライブを開催し、活動を終了しました。
Q4:松岡卓弥は芸能界を引退したのですか? A4:実際に引退したわけではありません。ソロ活動が厳しくなった時期に引退を考えたことを本人が明かしていますが、その後MATSURIのオーディションに合格し、活動を再開しました。
Q5:松岡卓弥は何歳で、出身地はどこですか? A5:1989年8月1日生まれで、2026年10月時点では37歳です。出身地は兵庫県です。
ヘキサゴン松岡卓弥の現在をひと言でまとめるなら、MATSURIのメンバーとして歌手活動を続けながら、新しい分野にも挑戦している段階です。
2009年のオーディションでグランプリを獲得し、サーターアンダギーとしてデビュー。その後、ソロ歌手としての活動、集客の苦境、健康上の理由による活動休止を経て、2025年にMATSURIとして再デビューしました。2026年は『恋の中央線』の発売や全国ツアー、ドラマ初出演など、活動の広がりが確認できます。
「ヘキサゴン松岡卓弥」という検索語から現在の姿を知りたい人にとって、押さえておきたいのは、過去の番組出演だけで彼のキャリアを判断しないことです。サーターアンダギーの解散はグループの公約未達成、ソロ時代の活動休止は健康上の問題、引退説は本人が当時抱えていた覚悟に関わる話です。それぞれを区別することで、経歴の流れが正確に見えてきます。
2026年10月現在、松岡はMATSURIのメンバーとしてステージに立ち続けています。今後は新曲やコンサートでの歌唱活動に加え、俳優としてどのような役柄に挑戦するのかも注目点です。かつてのヘキサゴン時代から続く歌手としての歩みは、現在も途切れていません。