青木治親(あおき・はるちか)さんは、1995年と1996年にロードレース世界選手権(WGP)125ccクラスで2年連続の世界王者に輝き、その後、オートレース選手へ転身した異色の経歴を持つレーサーです。2026年10月現在も、川口オートレース場所属の現役選手として競技を続けています。
世界のロードレースで頂点を極めた人物が、なぜ日本の公営競技であるオートレースに活躍の場を移したのでしょうか。その背景には、幼少期からバイクとともに歩んできた人生、兄の青木宣篤さん・青木拓磨さんと築いた「青木三兄弟」の歴史、そして障がいのある人のバイク挑戦を支える現在の社会活動があります。2026年の競走成績も交えながら、青木治親さんのプロフィール、経歴、転身の理由、現在の活動を整理します。
【青木治親のプロフィール】2026年現在も現役を続ける元WGP世界王者

青木治親さんは、群馬県出身のオートレーサーです。ロードレース時代には世界選手権125ccクラスで連覇を達成し、250ccクラスや500ccクラス、スーパーバイク世界選手権にも参戦しました。
2026年10月時点では50歳。川口オートレース場を拠点に、長年の競技経験を生かしてレースに臨んでいます。元世界王者という肩書だけでなく、オートレースへの転身後も競技生活を継続している点が、青木さんのキャリアを理解するうえで欠かせません。
基本プロフィールは次のとおりです。
- 名前:青木治親(あおき・はるちか)
- 生年月日:1976年3月28日
- 年齢:50歳(2026年10月28日時点)
- 出身地:群馬県。旧北群馬郡子持村の出身で、現在の渋川市にあたる地域
- 所属:川口オートレース場
- 選手登録:2004年7月26日
- 期別:29期
- ロードレースの代表的実績:1995年・1996年のWGP125ccクラス世界チャンピオン
生年月日や選手登録日は川口オートレースの公式選手プロフィール、ロードレース時代の実績はMotoGP公式ライダープロフィールで確認できます。年齢は誕生日を基準に算出しています。
なお、青木さんのプロフィールを調べる際は、ロードレース時代のライダーとしての記録と、オートレース選手としての登録情報を分けて見ることが大切です。どちらも同じ二輪競技ですが、競技制度も成績の評価方法も異なります。
【経歴・年表】125cc世界王者からオートレーサーへ、青木治親の歩み
青木治親さんのキャリアは、幼少期のポケットバイクから始まり、世界選手権の頂点、複数クラスへの挑戦、そしてオートレースへの転身へと続きます。主な出来事を時系列でまとめました。
| 時期 | 出来事 | 主なポイント |
|---|---|---|
| 1976年3月28日 | 群馬県で誕生 | 兄の宣篤・拓磨とともに幼少期からバイクに親しむ。 |
| 1995年 | WGP125ccクラスで世界王者 | ロードレース世界選手権で初の年間チャンピオンを獲得。 |
| 1996年 | WGP125ccクラスで連覇 | 2年連続の世界タイトルを獲得。 |
| 1997年 | 250ccクラスへ参戦 | 排気量の異なるクラスにステップアップ。 |
| 1999年 | 500ccクラスへ参戦 | 当時の最高峰クラスで経験を積む。 |
| 2000年 | スーパーバイク世界選手権に参戦 | ロードレース以外の世界選手権にも挑戦。 |
| 2003年 | 鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦 | ロードレースからオートレースへの転身前の節目。 |
| 2004年 | オートレース選手としてデビュー | 川口所属の29期生として新たな競技生活を開始。 |
| 2006年 | 川口のキューポラ杯争奪戦で優勝 | オートレースでの主要タイトルを獲得。 |
| 2011年 | 共同通信社杯プレミアムカップで優勝 | GⅠタイトルを獲得。 |
| 2019年 | 一般社団法人SSPを設立 | 障がいのある人のバイク走行を支援する活動を本格化。 |
| 2026年 | 川口所属の現役選手として活動 | オートレースへの出場を続け、社会活動にも取り組む。 |
ロードレース時代の経歴はMotoGP公式ライダープロフィール、オートレースの登録・表彰歴は川口オートレースの公式情報やオッズパークの選手データ、社会活動はタウンニュースなどの報道をもとに整理しています。
この年表から分かるのは、青木さんが世界タイトルを獲得した時点でキャリアを終えたわけではないことです。125ccクラスから250cc、500ccへと競技領域を広げた後、オートレースという別の競技へ移り、さらにバイク文化を通じた社会活動にも取り組んでいます。
【1995年・1996年】WGP125ccクラスで達成した世界選手権2連覇
青木治親さんの名前を語るうえで、最も象徴的な実績が1995年と1996年のロードレース世界選手権125ccクラスでの連覇です。現在のMotoGPにつながる世界選手権の歴史において、日本人ライダーが世界の強豪と争ってタイトルを獲得した実績は、青木さんのキャリアを特徴づけています。
MotoGP公式ライダープロフィールによると、青木さんは1995年から1996年にかけて、125ccクラスで通算9勝、表彰台20回、ポールポジション6回を記録しました。2年連続の世界王者という結果は、単発の優勝ではなく、複数のレースを通じて高い競争力を維持したことを示しています。
ロードレース世界選手権は、サーキットごとに異なるコーナー構成や路面状況、ライバルとの駆け引きに対応しながら、年間を通じてポイントを積み重ねる競技です。世界王者になるには、速さだけでなく、レースごとの対応力や安定したパフォーマンスも求められます。
加えて、1995年4月23日に鈴鹿サーキットで開催された日本GPでは、兄の宣篤さん、拓磨さん、治親さんの3人がそれぞれ表彰台に上がりました。MotoGP公式サイトの映像紹介でも取り上げられている、青木三兄弟を象徴する出来事です。
青木さんはその後、1997年に250ccクラスへ、1999年には500ccクラスへと参戦カテゴリーを変更しました。2000年にはスーパーバイク世界選手権にも参戦し、2001年には500ccクラスへ戻っています。
こうした経歴は、125ccクラスのチャンピオンという肩書だけでは見えにくい部分です。小排気量クラスで世界の頂点を極めた後も、より大きな排気量や異なるカテゴリーに挑み続けたことが、青木さんのライダーとしての歩みを形づくっています。
【転身の理由】青木治親はなぜオートレーサーを選んだのか
世界選手権で2連覇したライダーが、なぜロードレースからオートレースへ転身したのでしょうか。その答えを探るうえで参考になるのが、オートレース公式サイトに掲載された2004年の候補生特集記事です。
同記事では、青木さんがロードレーサーとして将来を考える時期に、オートレースの選手募集を知って受験を決意した経緯が紹介されています。バイクを降りるのではなく、これまで身につけた経験を生かしながら、別の競技で走り続ける道を選んだのです。
当時の青木さんは、ロードレースの世界選手権などで一定の成績を収めた選手に適用される特例枠を利用し、オートレース29期生の選考に合格しました。2004年7月26日に選手登録され、同年8月にデビュー。オートレース公式サイトの過去の情報では、デビュー戦で1着を獲得したことも紹介されています。
ただし、世界選手権で活躍した経験が、そのままオートレースの走りに置き換えられるわけではありません。2004年の公式特集記事では、ロードレースとオートレースではライディングフォームやバランスの取り方、コーナーでの動作、レース展開が異なることが説明されています。
ロードレースではサーキットのさまざまなコーナーを走り、車体を傾けながら速度やラインを調整します。一方、オートレースはオーバルコースを周回し、独自のフォームや走法、位置取りを使って勝負する競技です。整備を含め、選手自身が対応しなければならない領域もあります。
そのため、青木さんの転身は、世界王者が別のレースに移ったというだけではありません。すでに確立していた走り方を見直し、新しい競技の技術を習得する挑戦でもありました。
転身後の実績も注目に値します。オッズパークの選手情報では、2006年に川口のキューポラ杯争奪戦、2011年に共同通信社杯プレミアムカップで優勝した記録が掲載されています。ロードレース時代の知名度だけに頼らず、オートレースでも主要タイトルを獲得してきたことが分かります。
【青木三兄弟】宣篤・拓磨・治親が築いたロードレースの歴史
青木治親さんを語る際に欠かせないのが、長男の青木宣篤さん、次男の青木拓磨さんとともに知られる「青木三兄弟」です。3人は幼少期からバイクに親しみ、ロードレースの世界でそれぞれ実績を残しました。
MotoGP公式サイトでは、1995年の日本GPで3兄弟が表彰台を獲得した出来事が紹介されています。兄弟全員が世界選手権の舞台で活躍したことは、青木三兄弟の存在を象徴するエピソードです。
長男の宣篤さんはロードレース世界選手権500ccクラスなどで活躍し、現役引退後もライディングコーチや解説などの仕事に携わってきました。次男の拓磨さんは1998年の練習中の事故で脊髄を損傷し、下半身不随となりました。その後は四輪レースにも挑戦し、競技との関わりを続けています。
拓磨さんの事故は、兄弟にとって大きな転機となりました。しかし、バイクとの関係がそこで途切れたわけではありません。2019年には、拓磨さんが再び鈴鹿サーキットを走行する取り組みが実現しました。この経験は、後に青木さんが障がいのある人のバイク走行を支援する活動へ取り組む背景にもなっています。
2023年に公開されたJAMMINのインタビューでは、治親さんが兄の拓磨さんを再びバイクに乗せるために取り組んだプロジェクトと、そこから発展したSSPの活動が紹介されています。兄弟の関係は、レースで競い合うだけでなく、バイクを続けられる環境をともにつくる関係へと広がっています。
青木三兄弟の歩みを理解する際には、3人を同じキャリアの持ち主として扱わないことも大切です。宣篤さんはロードレースでの活躍と指導・解説、拓磨さんは事故後の競技への再挑戦、治親さんはオートレースと障がい者のバイク走行支援という、それぞれ異なる道を歩んでいます。
【2026年最新】青木治親の現在の活動とオートレース成績
2026年の青木治親さんは、川口オートレース場所属の現役選手として競走を続けています。オッズパークの2026年10月20日時点の掲載データでは、現行ランクはA-124。9月には伊勢崎で開催されたGⅠ共同通信社杯プレミアムカップにも出場し、10月には川口での開催に参戦した記録が確認できます。
同データに掲載された2026年の成績は、10月20日時点で125走、1着10回、2着11回、3着14回です。3着以内に入った割合を示す3連対率は28.0%となっています。通算では2,966走、1着453回、優勝17回と記録されています。
ここで注意したいのは、「1着回数」と「優勝回数」は同じ数字ではないことです。1着回数は個々の競走で1位になった回数を指し、優勝回数は開催の優勝戦などでタイトルを獲得した回数を指します。オートレースの成績を読むときは、両者を区別する必要があります。
また、オートレース公式モバイルの出場情報には、2026年10月29日から11月3日に浜松で開催されるSG第58回日本選手権オートレースの出場メンバー情報も掲載されています。開催前の情報は変更される場合がありますが、10月下旬時点でも現役競技者として活動していることを示す材料です。
一方、現在の活動は競走だけにとどまりません。青木さんは2019年に一般社団法人SSP(サイドスタンドプロジェクト)を立ち上げ、障がいのある人がオートバイに乗る夢を実現するための支援にも取り組んでいます。
JAMMINが2023年12月に公開したインタビューによると、活動のきっかけは、兄の拓磨さんを再びバイクに乗せるための挑戦でした。2019年に拓磨さんが鈴鹿サーキットを走行したことをきっかけに問い合わせが寄せられ、継続的な活動を目指してSSPが設立されたと説明されています。
タウンニュースの2025年8月21日付の人物紹介記事でも、青木さんが現役オートレーサーとして活動しながら、障がいのある人のバイク走行を支援していることが報じられています。同記事では、レース場で過ごす時間に加え、SSPの活動や支援の輪を広げるための取り組みにも時間を使っている様子が紹介されました。
つまり、2026年の青木治親さんの現在を理解するには、競技者としての成績と、バイクに乗りたい人を支援する活動の両方を見る必要があります。世界タイトルを獲得した過去だけでなく、現役の競技生活を続けながら、経験を別の形で社会に還元している点が現在の特徴です。
【プロの結論】青木治親の経歴を評価するときに押さえたい3つの視点
青木治親さんの経歴を正しく理解するためには、次の3つの視点が役立ちます。
1.世界選手権の実績と、その後の競技人生を分けて評価する。
1995年・1996年のWGP125ccクラス連覇は、ロードレースの世界で残した確かな実績です。一方、2004年以降のオートレースは別の競技であり、そこでの成績は独立して評価する必要があります。青木さんの場合、転身後もGⅠタイトルを獲得し、長期にわたって競技を続けてきたことが重要です。
2.現在の実力は、最新の競走成績で判断する。
世界王者という肩書はキャリアを理解するための重要な情報ですが、現在のレースでの強さを直接示すものではありません。現行ランク、直近の着順、良走路・湿走路の成績、出走予定などを確認することで、現在の競技状況をより具体的に把握できます。成績は更新されるため、数字には必ず集計時点を添えて読むことが大切です。
3.競技成績だけでなく、活動の広がりにも目を向ける。
SSPの取り組みは、青木さんがバイクを単なる競技の道具としてではなく、人が挑戦するための手段として捉えていることを示しています。障がいがあることを理由に一律に可能性を閉ざすのではなく、安全性や必要な支援方法を考えながら、走行を実現する道を探る活動です。
世界タイトル、競技転身、兄弟との歩み、社会活動は、それぞれ異なる側面です。しかし、いずれもバイクとの関わりを続けてきた青木さんの人生につながっています。青木治親さんの現在を知りたい人にとって、過去の栄光だけでなく、現在の競走実績とSSPの活動を併せて見ることが、最も実態に近い理解につながります。
【青木治親】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:青木治親さんは2026年現在、何歳ですか?
A1:1976年3月28日生まれで、2026年10月28日時点では50歳です。群馬県出身で、川口オートレース場所属の現役選手として活動しています。
Q2:青木治親さんは1995年と1996年に何の世界チャンピオンになりましたか?
A2:ロードレース世界選手権(WGP)の125ccクラスで2年連続の世界チャンピオンになりました。MotoGP公式ライダープロフィールでは、1995年から1996年にかけて通算9勝、表彰台20回、ポールポジション6回を記録したと紹介されています。
Q3:青木治親さんはなぜオートレーサーに転身したのですか?
A3:ロードレースの将来を考えるなかで、バイクから離れるのではなく、経験を生かして走り続ける道としてオートレースを選びました。2004年に特例枠で29期生として登録され、同年8月にデビューしました。
Q4:青木三兄弟とは誰のことですか?
A4:長男の青木宣篤さん、次男の青木拓磨さん、三男の青木治親さんの3人を指します。全員がロードレースの舞台で活躍し、1995年の日本GPでは3人そろって表彰台に上がったことで知られています。
Q5:青木治親さんは現在、オートレース以外にどのような活動をしていますか?
A5:一般社団法人SSP(サイドスタンドプロジェクト)を通じて、障がいのある人がオートバイに乗るための支援に取り組んでいます。兄の青木拓磨さんが再びバイクで走るための挑戦が、活動を始める大きなきっかけになりました。
青木治親さんは、1995年・1996年のWGP125ccクラス連覇で日本のロードレース史に名を残し、その後はオートレーサーへ転身しました。2004年のデビュー以降も主要タイトルを獲得し、2026年10月現在も川口オートレース場所属の現役選手として競技を続けています。
兄の青木宣篤さん、青木拓磨さんとともに築いた「青木三兄弟」の歴史も、青木さんを理解するうえで欠かせません。とりわけ、拓磨さんの再挑戦を支えた経験から生まれたSSPの活動は、競技者として培った経験を社会へ広げる取り組みとなっています。
青木治親さんの現在を調べるなら、世界選手権での実績、オートレースの最新成績、SSPの活動という3つの情報を併せて確認するのがおすすめです。世界王者という過去の肩書だけでなく、現在も走り続け、新たな挑戦を支えていることこそ、青木治親さんのキャリアを貫く特徴です。