江上由美さんは、日立の女子バレーボール部で実力を磨き、全日本女子の主将として1984年ロサンゼルス五輪の銅メダル獲得に貢献した元トップ選手です。いったん現役を退いた後、1987年に選手として復帰し、1988年ソウル五輪にも出場。結婚後は丸山由美の名前でも知られ、競技者から指導者へと活動の幅を広げてきました。
2026年の活動を知るうえで注目したいのが、静岡県富士宮市が公表した「宝くじスポーツフェア ドリーム・バレーボール」の開催記録です。江上さんは同年7月のイベントに参加し、地域のバレーボール愛好家や子どもたちとの交流に携わりました。選手時代の実績だけでなく、現在につながる指導・普及活動まで、公開資料や競技記録をもとに時系列で整理します。
【プロフィール】江上由美はどんなバレーボール選手?身長・ポジション・経歴を整理

江上由美さんは1957年11月30日生まれ、東京都出身。中学生の頃からバレーボールを始め、松蔭高校を卒業後、1976年に日立へ入社しました。日本リーグと全日本代表の両方で活躍し、1980年代の女子バレーボールを代表する選手の一人として知られています。
身長は175センチ。ポジションはセンターで、現在の呼称ではミドルブロッカーに相当します。スポーツナビのバレーボール特集では、江上さんの持ち味として、相手の攻撃を読む力と、タイミングを合わせたブロックが紹介されています。日本リーグではブロック賞を4度受賞しており、単純な高さだけでなく、相手の動きを予測する技術が評価されていました。
当時の国際バレーボールでは、相手の強力なアタックをどう封じるかが試合の要点でした。センターの選手には、相手のトスやアタッカーの助走を読み、短い時間で跳ぶ位置とタイミングを判断する能力が大切です。江上さんの評価を理解するには、身長だけでなく、こうした判断力やブロック技術にも目を向ける必要があります。
主なプロフィールは次のとおりです。
- 名前:江上由美(結婚後は丸山由美としても知られる)
- 生年月日:1957年11月30日
- 出身:東京都
- 出身高校:松蔭高校
- 身長:175センチ
- ポジション:センター
- 主な所属:日立、小田急
- 主な実績:1984年ロサンゼルス五輪銅メダル、1988年ソウル五輪出場
【経歴・年表】日立入社から全日本主将、五輪出場までの歩み
江上さんのキャリアを理解するうえで重要なのは、日立での選手生活、全日本女子の主将としての国際大会、そして引退後の現役復帰という三つの転換点です。講談社の人物辞典やバレーボール関連の競技資料をもとに、主要な出来事を整理しました。
| 時期 | 出来事 | 主な意味・実績 |
|---|---|---|
| 1957年11月30日 | 東京都で誕生 | 中学時代からバレーボールを始める |
| 1976年 | 日立に入社 | 実業団選手として本格的な競技生活を開始 |
| 1977年 | 全日本女子に初選出 | 国際舞台でのキャリアが始まる |
| 1977年 | 第2回ワールドカップを日本で開催 | 日本女子は大会優勝 |
| 1982年 | 全日本女子の主将に就任 | 代表チームの中心選手として活動 |
| 1984年 | ロサンゼルス五輪に出場 | 主将として銅メダル獲得に貢献 |
| 1987年 | 現役復帰 | 小田急のチームで選手として再始動 |
| 1988年 | ソウル五輪に出場 | 丸山由美の名前で登録され、日本は4位 |
| 2025年6月 | 日本バレーボール協会の理事を退任 | 協会の公表資料で任期満了による退任を確認 |
| 2026年7月 | ドリーム・バレーボールin富士宮に参加 | 地域のバレーボール普及イベントに登場 |
1977年のワールドカップは、日本が開催国として優勝した大会です。江上さんも同年に全日本入りしており、代表選手としてのキャリアをスタートさせた時期にあたります。ただし、大会全体の優勝記録と個人の出場記録は別の情報です。大会の順位は日本バレーボール協会の国際大会記録で確認できます。
1982年には全日本女子の主将に就任しました。主将には、コート上の技術だけでなく、選手同士の連携を支え、チームをまとめる役割もあります。江上さんはその後、1984年ロサンゼルス五輪で日本代表を率いる立場となりました。
【1984年ロサンゼルス五輪】主将・江上由美が銅メダル獲得に貢献
江上由美さんのキャリアを象徴する大会が、1984年のロサンゼルス五輪です。日本女子は予選リーグで韓国、ペルー、カナダに勝利。準決勝では中国に敗れたものの、3位決定戦でペルーを3対1で下し、銅メダルを獲得しました。日本バレーボール協会の公式対戦記録でも、日本の最終順位は3位と記録されています。
江上さんはこの大会で主将を務めました。チームの中心選手として、相手の攻撃を止めるブロックや、攻守の切り替えに関わるセンターの役割を担いました。銅メダルは日本代表全体で勝ち取った成果ですが、そのチームをまとめた主将の一人として、江上さんの名前は現在もこの大会と結び付けて語られています。
当時の女子バレーボールでは、強烈なスパイクを打つ攻撃力だけでなく、相手の攻撃を予測して封じる守備力も勝敗を左右しました。スポーツナビの特集では、江上さんについて、175センチという身長に加え、優れた読みとブロックのタイミングが評価されています。センターとしての技術が、国際舞台での競争力を支えたのです。
なお、ロサンゼルス五輪後の日本女子は、次の大会に向けて新たなチームづくりを進めていくことになります。江上さん自身もいったん現役を退きますが、その競技人生はそこで終わりませんでした。
【1987年の現役復帰】小田急バレーボール部の監督兼選手からソウル五輪へ
ロサンゼルス五輪後に引退した江上さんは、小田急の女子バレーボールチームで指導者としての道を歩み始めました。その後、1987年に現役選手として復帰。小田急では監督兼選手として活動し、1988年のソウル五輪に出場しました。
この復帰は、江上さんの経歴のなかでも特徴的な転換点です。引退して指導者へ移った選手が、再びコートに立ち、五輪代表として競技に戻ったからです。復帰を決めた個人的な理由については、公開資料から具体的な心境や経緯の細部まで一律に説明することはできません。ただし、競技記録や人物紹介からは、引退後に指導者となり、選手として復帰した経歴を確認できます。
1988年ソウル五輪の日本女子は4位でした。日本バレーボール協会の代表メンバー表では、江上さんは「丸山由美」、所属は小田急、ポジションはセンターとして掲載されています。日本は準決勝でペルーに2対3で敗れ、3位決定戦でも中国に0対3で敗退。メダル獲得には届きませんでしたが、江上さんは2大会連続で五輪の舞台に立ちました。
ロサンゼルス五輪の銅メダルだけを見ると、江上さんのキャリアは1984年で完結したように感じられる可能性があります。しかし、1987年の復帰と翌年のソウル五輪まで含めると、選手としての挑戦と指導者としての役割を並行して経験した点が、経歴の大きな特徴として浮かび上がります。
【丸山由美・本名・夫】江上由美と丸山由美は同一人物?
江上由美さんを調べると、「丸山由美」という名前も見つかります。これは別人ではなく、結婚後に使用するようになった名前です。1984年ロサンゼルス五輪の代表関連資料では江上由美、1988年ソウル五輪の日本代表名簿では丸山由美と記載されており、同一人物の競技歴としてつながっています。
「江上由美の本名は?」という疑問については、資料によって「本名」「旧姓」の説明が異なる場合があります。人物辞典には本名を丸山由美とする記載がある一方、プロフィールでは「丸山由美(旧姓:江上)」と紹介されています。名前を整理する際は、旧姓・結婚後の名前という関係と、各大会の公式登録名を分けて理解すると混乱しにくくなります。
夫については、人物データベースなどに丸山貴也さんの名前を挙げる記載があります。また、2011年の神奈川県山北町の広報資料には、丸山由美さんと丸山貴也さんが一緒にバレーボール教室を行った記録が掲載されています。ただし、結婚時期や家族の詳しい情報については、公開資料だけで確認できる範囲が限られています。
競技歴を追う際には、1984年の「江上由美」と1988年の「丸山由美」を別の選手として扱わないことが大切です。旧姓と結婚後の名前を正しく結び付ければ、日立時代から小田急、そして五輪出場までの経歴を一貫して理解できます。
【2026年最新】ドリーム・バレーボール富士宮で確認できる活動と指導法
2026年の活動を具体的に示す公的資料が、静岡県富士宮市の「宝くじスポーツフェア ドリーム・バレーボールin富士宮」の開催報告です。イベントは2026年7月18日と19日に富士宮市民体育館で開催され、江上さんもドリームチームの選手として参加しました。市の報告では、7月19日のメインプログラムに823人が来場したとされています。
イベントでは、小中学生や市内のママさんバレーチームを対象に、レシーブやアタックの基礎、実戦的な技術を学ぶバレーボール教室が行われました。市の記録には、開会式で江上さんが「江上キャプテン」として紹介されたことも記載されています。これは、2026年にもバレーボールの普及活動に参加していることを確認できる具体的な事例です。
一方、2026年現在の役職を考える際には、過去の肩書と現在の肩書を区別する必要があります。日本バレーボール協会の2025年6月24日付資料では、丸山由美さんは任期満了に伴う退任理事として記載されています。そのため、以前のプロフィールに協会理事と書かれていても、2026年の現職としてそのまま紹介するのは正確ではありません。
指導法についても、江上さんは競技者としての実績を地域スポーツに還元しています。バレーボール関連のインタビューでは、上達の考え方について「得意なことを伸ばしてください」と伝えています。個人の長所を見つけて伸ばすことを重視し、技術だけでなく、競技を楽しむ姿勢やチームへの貢献にも目を向ける考え方です。
ママさんバレーの指導では、選手ごとの体力や経験、技術の差を踏まえた練習が欠かせません。江上さんが監修した上達教材では、サーブ、レシーブ、トス、ブロック、フォーメーションなど幅広い技術が扱われています。特定の技を繰り返すだけでなく、動きの意味を理解し、試合中の声かけや連携につなげる視点が特徴です。
ただし、2026年に確認できる活動情報と、過去のインタビューや教材に掲載された指導内容は分けて読む必要があります。富士宮市のイベント参加は2026年の公的な開催記録で確認できますが、それだけで年間を通じた全活動や現在のすべての役職が分かるわけではありません。
【プロの結論】江上由美のキャリアから読み解く、長く活躍する選手の条件
江上由美さんの経歴から読み取れるのは、トップ選手としての実績が、現役時代の勝敗だけで完結しないという点です。日立で技術を磨き、全日本女子の主将として五輪に臨み、引退後は小田急で指導者の役割を担い、さらに現役復帰してソウル五輪へ出場。その後も指導・普及活動へと関わり続けてきました。
特に注目したいのは、センタープレーヤーとして評価されたブロック技術と、指導者として重視する個人の長所を伸ばす考え方です。試合では、相手の攻撃を予測する判断力と、チームの連携が大切です。指導の場では、選手それぞれの得意分野を見つけ、それをチーム全体の力へつなげることが大切になります。選手と指導者という二つの経験は、こうした競技の本質を異なる立場から示しています。
江上さんの経歴を調べる読者にとって、押さえておきたい判断基準は三つあります。第一に、五輪の個人実績と日本代表チーム全体の成績を区別すること。第二に、江上由美と丸山由美を同一人物として時系列で整理すること。第三に、2026年の活動を紹介するときは、当年の自治体発表など具体的な資料と、過去のプロフィールを分けることです。
【江上由美バレーボール】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:江上由美さんの身長とポジションは?
A1:身長は175センチ、ポジションはセンターです。現在の一般的な呼称ではミドルブロッカーに相当し、ブロックの読みとタイミングを武器に活躍しました。
Q2:江上由美さんはロサンゼルス五輪で何のメダルを獲得しましたか?
A2:1984年ロサンゼルス五輪で、日本女子は銅メダルを獲得しました。江上さんは主将として出場し、チームのメダル獲得に貢献しました。
Q3:江上由美さんはソウル五輪にも出場しましたか?
A3:はい。1987年に現役復帰し、1988年ソウル五輪に出場しました。公式メンバー表では丸山由美の名前で登録され、日本女子は4位でした。
Q4:江上由美さんと丸山由美さんは別人ですか?
A4:別人ではありません。江上由美さんは結婚後、丸山由美の名前でも知られています。1984年大会と1988年大会の代表資料を比較すると、名前の変化を確認できます。
Q5:江上由美さんは2026年現在もバレーボールに関わっていますか?
A5:はい。静岡県富士宮市の公式開催報告によると、2026年7月のドリーム・バレーボールin富士宮に参加しています。地域でのバレーボール交流や普及活動を確認できる事例です。
江上由美さんは、日立で実力を磨き、全日本女子の主将として1984年ロサンゼルス五輪の銅メダル獲得に貢献した名センタープレーヤーです。引退後は小田急で指導者として活動し、1987年に現役復帰。1988年ソウル五輪では丸山由美の名前で出場し、日本の4位という結果を経験しました。
2026年については、富士宮市の公式記録により、7月のドリーム・バレーボールへの参加が確認できます。過去の競技実績と現在の活動を分けて捉えることで、選手としての栄光だけでなく、バレーボールを次の世代へ伝える取り組みも見えてきます。
江上由美という名前で記憶されるロサンゼルス五輪の銅メダルと、丸山由美として歩んだ現役復帰後のキャリア。その両方を時系列で追うことが、彼女のバレーボール人生を正確に理解する近道です。