崇仁親王妃百合子(すうじんしんのうひ・ゆりこ)さまは、1923年6月4日にお生まれになり、三笠宮崇仁親王と結婚後、長年にわたって皇族として医療・福祉・文化・国際親善などの分野に携わられました。日本赤十字社の名誉副総裁を務め、母子保健や福祉に関わる活動にも力を注がれたことでも知られています。
2024年11月15日、百合子さまは101歳で薨去されました。2026年現在、関心が集まるのは、その生涯や学習院での学び、三笠宮崇仁親王との結婚、5人のお子さまとの家族関係、そして最晩年の経緯です。宮内庁の三笠宮家に関する公表情報、日本赤十字社の記録、政府の発表をもとに、百合子さまの歩みを時系列で整理します。
【百合子さまの生年月日と年齢】学習院での学びから皇室へ

百合子さまは1923年6月4日、故・高木正得の第2女子としてお生まれになりました。宮内庁の三笠宮家紹介ページによると、学歴は女子学習院本科卒業です。卒業年は1941年で、同年に三笠宮崇仁親王との婚姻を迎えられました。
女子学習院は、当時の女子皇族や華族の子女らが学ぶ教育機関でした。百合子さまの学歴を確認するうえで押さえておきたいのは、宮内庁が公表する正式な卒業記録が「昭和16年・女子学習院本科卒業」となっている点です。学校での学びを経て、18歳の年に皇族としての新たな生活に入られました。
百合子さまの生年月日から年齢を計算すると、2023年6月4日に100歳の百寿を迎え、2024年6月4日には101歳になられています。同年11月15日の薨去時も101歳でした。
「百合子さまは現在何歳なのか」という疑問については、2026年現在、ご存命ではないため、現在年齢ではなく薨去時の年齢である101歳と整理するのが正確です。宮内庁は薨去の日を令和6年11月15日として記録しています。
【崇仁親王妃百合子の経歴】結婚から晩年までを年表で整理
百合子さまの生涯をたどると、学業を終えた直後の結婚、5人のお子さまの養育、皇族としての公務、そして日本赤十字社での長期にわたる活動が主な節目になります。以下は、宮内庁の公表記録、日本赤十字社の資料、2024年の政府発表などから整理した年表です。
| 年月日・時期 | 出来事 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 1923年6月4日 | ご誕生 | 高木正得の第2女子として誕生 |
| 1941年 | 女子学習院本科卒業 | 宮内庁の学歴記録に記載 |
| 1941年3月29日 | 結婚の勅許 | 三笠宮崇仁親王との結婚に関する記録 |
| 1941年10月3日 | 納采の儀 | 婚約に関する儀式 |
| 1941年10月22日 | ご結婚 | 三笠宮崇仁親王と結婚 |
| 1953年3月 | 日本赤十字社の名誉副総裁に推戴 | 日本赤十字社の機関誌に記録 |
| 2016年10月27日 | 崇仁親王薨去 | ご夫君が100歳で薨去 |
| 2023年6月4日 | 百寿 | 100歳のお誕生日 |
| 2024年3月 | 入院 | 軽い脳梗塞と誤嚥性肺炎で療養 |
| 2024年11月15日 | 薨去 | 101歳。宮内庁発表の死因は老衰 |
この年表から分かるのは、百合子さまの皇族としての歩みが80年以上に及んだことです。1941年の結婚から2016年の崇仁親王薨去まで75年、さらに百合子さまご自身の薨去まで数えると、皇室の歴史の大きな変化を長期にわたって見つめてこられたことになります。
また、百合子さまの生涯を振り返る際には、結婚や家族の歴史だけでなく、戦後の社会福祉や医療、国際親善に関わる活動も重要です。内閣総理大臣の謹話でも、皇族として医療・福祉・文化・スポーツ・国際親善など幅広い分野に貢献されたことが記されています。
【三笠宮崇仁親王と百合子さま】結婚の時期と5人のお子さま
百合子さまは1941年10月22日、三笠宮崇仁親王と結婚されました。崇仁親王は大正天皇の第4皇男子で、昭和天皇の弟にあたります。宮内庁の記録には、同年3月29日の勅許、10月3日の納采の儀、10月22日の結婚がそれぞれ記載されています。
ご結婚後、お二人の間には5人のお子さまが誕生しました。女子が2人、男子が3人です。宮内庁の記録では、長女の甯子さま、長男の寬仁親王、次男の宜仁親王、次女の容子さま、三男の憲仁親王の順に記載されています。
5人のお子さまのうち、男子3人はいずれも百合子さまより先に薨去されました。寬仁親王は2012年6月6日、桂宮宜仁親王は2014年6月8日、高円宮憲仁親王は2002年11月21日に薨去されています。夫の崇仁親王も2016年10月27日に100歳で薨去されました。
この家族の歩みを理解する際には、それぞれの人物の身位や宮号、結婚後の立場を区別することが大切です。皇族の身分や呼称は、婚姻や薨去などによって変わることがあり、一般家庭の親族関係だけでは皇室の系譜を把握しにくい面があります。
百合子さまは、夫と5人のお子さまを持つ母としての生活と、皇族としての公的な活動を長年にわたって担われました。2024年11月15日の薨去まで、三笠宮家の歴史を語るうえで欠かせない存在でした。
【近衞甯子・彬子女王・瑶子女王】百合子さまと家族の関係
百合子さまと近衞甯子さまの関係は、母と長女です。甯子さまは1944年4月26日にお生まれになり、1966年12月18日に近衞忠煇氏と結婚されました。宮内庁の記録では、結婚後の立場も含めて紹介されています。
長男の寬仁親王には、彬子女王と瑶子女王という2人の女子がいらっしゃいます。したがって、彬子女王と瑶子女王は百合子さまの孫にあたり、近衞甯子さまは百合子さまの長女にあたります。この関係を押さえておくと、皇室関連の報道に登場する人物のつながりが理解しやすくなります。
彬子女王は1981年12月20日生まれで、学習院大学卒業後、英国オックスフォード大学で日本美術史を学び、博士号を取得されました。宮内庁の三笠宮家紹介ページでは、大学での教育活動や文化・国際親善に関わる総裁職なども紹介されています。
瑶子女王は1983年10月25日生まれで、学習院女子大学を卒業されています。宮内庁の公表情報では、福祉やユニバーサルデザインに関係する団体などで総裁・名誉総裁・名誉顧問を務められていることが確認できます。
彬子女王と瑶子女王の活動は、祖母である百合子さまの公的な歩みと同一ではありません。しかし、三笠宮家の家族関係を通して、皇族が文化、福祉、国際親善など多様な分野に携わっていることが分かります。
【日本赤十字社の名誉副総裁】百合子さまが長年取り組まれた公的活動
百合子さまの活動を語るうえで重要なのが、日本赤十字社の名誉副総裁としての役割です。日本赤十字社の機関誌によると、1953年3月に開かれた第1回代議員会で、百合子さまは名誉副総裁に推戴されました。2024年11月の薨去まで、約71年間にわたってその立場で活動を支えられたことになります。
日本赤十字社の記録には、全国赤十字大会や地方赤十字大会、献血運動推進全国大会への臨席のほか、災害救護演習の視察、裁縫奉仕活動、募金活動、赤十字病院への訪問などが紹介されています。名誉職という肩書だけでなく、さまざまな現場や活動に関わってこられたことがうかがえます。
また、政府が2024年11月15日に公表した内閣総理大臣謹話では、百合子さまが特に母子愛育事業に長年携わり、献身的に尽力されたことにも言及しています。母子の健康や福祉を支える活動は、皇族の公務のなかでも社会生活に密接に関わる分野です。
皇族による福祉活動の意義は、制度を直接運営することだけに限られません。関係する団体の行事に臨席し、活動を社会に伝え、関係者を励ます役割もあります。政府の謹話が、百合子さまについて医療や福祉に加え、文化、スポーツ、国際親善まで幅広く触れているのは、活動領域の広さを示しています。
2026年現在、日本赤十字社の名誉副総裁一覧に百合子さまの名が現役の役職者として掲載されているわけではありません。百合子さまはすでに薨去されており、長年務められた役割は歴史的な記録として残されています。
【百合子さまの薨去の経緯】2024年11月15日の発表と死因
百合子さまは2024年3月3日、東京都中央区の聖路加国際病院を受診され、軽い脳梗塞と誤嚥性肺炎と診断されて入院されました。その後も療養が続き、11月に入ってからは心臓や腎臓など全身の機能低下が進んでいることが宮内庁から明らかにされました。
テレビ朝日などの報道によると、宮内庁は11月7日の検査で全身の機能低下が進んでいることを確認し、11月8日には容体の悪化が報じられました。英国などを訪問していた孫の彬子女王は、予定を変更して帰国し、11月9日に百合子さまをお見舞いされています。
そして、2024年11月15日午前6時32分、百合子さまは入院先の病院で薨去されました。宮内庁の医務主管による説明を伝えた報道各社は、死因を老衰と報じています。薨去時の年齢は101歳でした。
「百合子さまの死因は何だったのか」という疑問に対しては、宮内庁の発表に基づく答えは老衰です。軽い脳梗塞や誤嚥性肺炎で入院されていたこと、亡くなる前に全身の機能低下が進んでいたことは、薨去に至る経緯を理解するための背景情報として区別して整理する必要があります。
日本赤十字社の機関誌によると、百合子さまの葬儀にあたる殯葬の儀は、2024年11月26日に東京都文京区の豊島岡墓地で行われました。薨去当日には天皇皇后両陛下が弔問され、宮内庁が公表した記録にも、百合子さまを悼む皇室の様子が残されています。
2026年時点で百合子さまは故人であり、宮内庁の三笠宮家に関する記録では、薨去の日付は令和6年11月15日とされています。現在の三笠宮家の活動を調べる際には、百合子さまご自身の過去の活動記録と、現在の皇族方の公務を混同しないことが大切です。
【崇仁親王妃百合子】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:百合子さまの生年月日はいつですか? 何歳で亡くなられましたか?
A1:1923年6月4日生まれです。2024年11月15日に101歳で薨去されました。2023年には100歳の百寿を迎えられています。
Q2:百合子さまと三笠宮崇仁親王の間には子どもが何人いましたか?
A2:5人です。女子2人、男子3人で、長女は近衞甯子さま、長男は寬仁親王、次男は宜仁親王、次女は容子さま、三男は憲仁親王です。
Q3:百合子さまの死因は老衰だったのですか?
A3:はい。2024年11月15日の薨去について、宮内庁の発表を伝えた報道各社は死因を老衰と報じています。百合子さまは同年3月から軽い脳梗塞と誤嚥性肺炎で入院され、亡くなる前には全身の機能低下が進んでいました。
崇仁親王妃百合子さまは、1923年のご誕生から2024年の薨去まで、101年の生涯を歩まれました。女子学習院で学び、1941年に三笠宮崇仁親王と結婚し、5人のお子さまを育てながら、皇族としての公務と社会福祉に関わる活動を続けられました。
なかでも、日本赤十字社の名誉副総裁として約71年間活動を支えられたことや、母子愛育事業への長年の関与は、公的記録から確認できる大きな足跡です。百合子さまの生涯を振り返る際には、家族の歴史、皇室の系譜、社会福祉への貢献という3つの視点を合わせて見ることで、その歩みをより立体的に理解できます。
2026年現在、百合子さまはすでに薨去されていますが、宮内庁、日本赤十字社、政府の公表資料には、その経歴や活動の記録が残されています。皇室に関する情報を調べる際は、人物の続柄や役職の在任時期、発表された日付を照合することが、正確な理解につながります。