昭和のいる・こいるは、独特の相づちと飄々とした掛け合いで人気を集めた東京漫才の名コンビです。2026年現在、昭和こいるさんは2021年12月30日に77歳で、昭和のいるさんは2025年5月24日に88歳で亡くなっています。二人とも、落語協会の公式プロフィールや訃報で命日が公表されています。
「ヘーヘーホーホー」「はいはいはいはい」「そんなもんだよ、しょうがない」といったおなじみのフレーズは、強烈な毒舌や大げさな演技に頼らない漫才の象徴でした。1966年の結成からNHK漫才コンクール優勝、最後の寄席出演、そして二人の死去に至るまで、公式記録と報道をもとに、その歩みと芸の魅力を振り返ります。
【2026年最新】昭和のいる・こいるの現在と死去の経緯

昭和のいる・こいるの二人は、昭和から平成にかけて東京の寄席やテレビで活躍しました。しかし、2021年にこいるさんが亡くなり、2025年にはのいるさんも死去。長年にわたって親しまれたコンビは、二人ともこの世を去りました。
昭和こいるさんの本名は庄田太一(しょうだ・たいち)。群馬県出身で、1944年1月26日生まれです。2021年12月30日、前立腺がんのため東京都内の病院で77歳で亡くなりました。訃報は同月31日に報じられ、長年親しまれた独特の相づちとともに、その功績が伝えられました。
スポーツニッポンやデイリースポーツなどの報道によると、こいるさんは亡くなる約3年前から前立腺がんの治療を続け、入退院を繰り返していました。2021年11月28日には、東京・有楽町よみうりホールで開催された「来年三月真打決定 鈴々舎八ゑ馬の会ファイナル」に出演。のいるさんが体調を崩していたため、近年は漫談を中心に活動しており、これが最後の仕事となりました。
一方、昭和のいるさんの本名は岡田弘(おかだ・ひろし)。1936年7月23日生まれ、石川県出身です。落語協会は、のいるさんが2025年5月24日午後7時45分、肺炎のため亡くなったと発表しました。享年88歳でした。
こいるさんの死去から約3年5か月後に、のいるさんも亡くなったことになります。二人の訃報は、落語協会の公式発表や大手報道機関によって伝えられました。
【経歴・年表】本名や結成から受賞歴までを一覧で整理
昭和のいる・こいるの歩みを理解するうえで欠かせないのが、1966年の初舞台と、1970年代から2000年にかけての受賞歴です。二人は寄席で経験を積みながら、独自の漫才スタイルを確立していきました。
| 時期 | 出来事 | 内容・実績 |
|---|---|---|
| 1936年7月23日 | 昭和のいるさん誕生 | 本名は岡田弘。石川県出身。 |
| 1944年1月26日 | 昭和こいるさん誕生 | 本名は庄田太一。群馬県出身。 |
| 1966年4月1日 | コンビ初舞台 | 浅草松竹演芸場で初舞台を踏む。 |
| 1976年 | NHK漫才コンクール優勝 | コンビとして評価を高める大きな実績となった。 |
| 1977年 | 国立演芸場花形演芸賞銀賞 | 寄席演芸の分野でも評価を受ける。 |
| 1984年 | 漫才協団九代目真打昇進 | 長年の舞台経験を重ね、真打に昇進。 |
| 1985年 | レコード発売 | キングレコードから「一気酒」「のろけ節」を発売。 |
| 2000年 | 浅草芸能大賞奨励賞 | コンビとしての活動が改めて評価された。 |
| 2013年7月23日 | 最後の寄席出演 | 浅草演芸ホール。落語協会の公式訃報に記載。 |
| 2021年12月30日 | 昭和こいるさん死去 | 前立腺がんのため77歳で死去。 |
| 2025年5月24日 | 昭和のいるさん死去 | 肺炎のため88歳で死去。 |
表にまとめた受賞歴は、落語協会の公式プロフィールを中心に整理したものです。1976年のNHK漫才コンクール優勝に続き、1977年には国立演芸場花形演芸賞銀賞、2000年には浅草芸能大賞奨励賞を受賞しています。
また、二人は1984年に漫才協団九代目真打に昇進しました。寄席の世界では、舞台経験を重ねて芸を磨き、観客の前で実力を認められることが重要です。テレビで見せる軽妙な掛け合いだけでなく、長年の寄席出演を通じて培った技術が、コンビの土台にありました。
なお、落語協会の公式プロフィールでは、コンビとしての紹介ページと個人ページがそれぞれ設けられています。生年月日、本名、命日、芸歴などを確認する際は、対象となる人物の個人プロフィールも併せて見ると、情報を整理しやすくなります。
【結成秘話】花園のいる・こいるから昭和のいる・こいるへ
二人が漫才の世界に入ったのは1966年です。落語協会の公式プロフィールによると、二人は獅子てんや・瀬戸わんやに入門し、同年4月1日に浅草松竹演芸場で初舞台を踏みました。歌声喫茶から漫才界に入ったという経歴も、コンビの成り立ちを語るうえで特徴的です。
デビュー当初の芸名は「花園のいる・こいる」でした。東京漫才の歴史を紹介する資料アーカイブでは、二人が師匠への入門前に新宿の花園饅頭で働いていたことが、当初の芸名に結びついた経緯として紹介されています。芸名の「のいる・こいる」には「乗り越える」という言葉を連想させる意味もあり、苦労を重ねながら芸人として歩み始めた二人の出発点を物語っています。
その後、「昭和のいる・こいる」という芸名で活動するようになりました。デイリースポーツなどの報道では、歌手の三橋美智也さんの提案によって改名したと伝えられています。
二人の経歴をたどると、最初からテレビで注目されたスターだったというより、師匠のもとで修業し、浅草の舞台で経験を積み、少しずつ独自の持ち味を育てた芸人だったことがわかります。歌声喫茶で培った音楽への親しみや、寄席の舞台で磨かれたテンポ感が、後年の漫才にもつながっていきました。
【漫才ネタを解説】「ヘーヘーホーホー」の元ネタと名コンビの魅力
昭和のいる・こいるを象徴するのが、こいるさんの「ヘーヘーホーホー」という相づちです。のいるさんが話を進めようとすると、こいるさんは「はいはいはいはい」「へーへー、ほーほー」と早口で応じ、時には「よかった、よかった」「そんなもんだよ、しょうがない」と話を受け流します。
一般的な漫才では、ボケ役が意外な発言をして、ツッコミ役がそれを指摘したり、訂正したりすることで笑いを生み出します。しかし、このコンビの面白さは、こいるさんが相手の話を真剣に受け止めているようで、実際にはどこか他人事のように応じる点にありました。
のいるさんが話題を振り、こいるさんが軽く受け流す。のいるさんがさらに話を進めても、こいるさんは同じ調子を崩さない。この繰り返しによって、会話がかみ合っているようでかみ合わない独特の空気が生まれます。言葉そのものの意外性だけではなく、二人の間に流れる間合いとリズムが笑いの中心にあったのです。
「ヘーヘーホーホー」に特定の元ネタはあるのでしょうか。落語協会の公式プロフィールや主要な訃報報道では、特定の映画、楽曲、人物の台詞などを直接の起源とする説明は示されていません。広く知られているのは、こいるさんが漫才の中で繰り返した独特の相づちとしての使い方です。
したがって、このフレーズの魅力は、単に言葉の出どころを知ることだけでは理解できません。同じ言葉でも、相手がどのように話しかけ、どのタイミングで返すかによって、笑いの意味が変わります。こいるさんの飄々とした態度と、のいるさんの話を前に進めようとする姿勢が組み合わさることで、あの独特の漫才が成立していました。
もう一つの特徴は、強い攻撃性や過剰な演技に頼らないことです。こいるさんの相づちは、一見すると無責任で、話を聞いていないようにも感じられます。しかし、その脱力感こそが観客の緊張をほどき、何度繰り返しても飽きにくいリズムを生み出していました。
この芸風は、フレーズだけをまねても再現が難しいものです。話し手と受け手の役割、声の調子、間の取り方、そして長年コンビを組んできた二人の呼吸がそろって初めて、昭和のいる・こいるならではの笑いになります。
【最後の寄席出演と死去】二人が歩んだ晩年
昭和のいる・こいるの最後の寄席出演について、落語協会の公式訃報は、2013年7月23日の浅草演芸ホールだったと明記しています。長年にわたり東京の寄席で活動してきた二人にとって、浅草は芸歴を語るうえで欠かせない場所でした。
その後、のいるさんは体調を崩し、コンビでの寄席出演から離れていきます。こいるさんも闘病を続けることになり、晩年は漫才の形を変えながら活動を続けました。2021年11月28日の公演がこいるさんの最後の仕事となり、翌12月30日に亡くなりました。
デイリースポーツなどの報道では、こいるさんは亡くなる直前まで舞台に立ち、漫談を披露していたと伝えられています。長年の相方とともに活動することが難しくなっても、最後まで観客の前で芸を届けようとしていた姿が報じられました。
そして2025年5月24日、のいるさんも肺炎のため88歳で亡くなりました。落語協会の発表によって、命日と死因、最後の寄席出演日が公表されています。
ここで区別しておきたいのは、コンビとしての最後の寄席出演と、こいるさん個人の最後の仕事は同じではないという点です。前者は2013年7月23日の浅草演芸ホール、後者は2021年11月28日の公演です。それぞれ異なる記録をたどることで、二人の晩年の活動をより正確に理解できます。
【プロの結論】昭和のいる・こいるが残した漫才の価値
昭和のいる・こいるの魅力を評価する際、最も注目したいのは、特徴的な言葉と、それを生かす二人の関係性です。「ヘーヘーホーホー」というフレーズだけを切り取れば、単純な相づちに見える可能性があります。しかし、のいるさんの話を受け止めながら受け流すこいるさんの態度が加わることで、単なる返事が漫才の中心的な仕掛けへと変わります。
1976年のNHK漫才コンクール優勝や、その後の演芸賞の受賞は、二人の芸が一時的な流行にとどまらず、舞台芸として評価されていたことを示しています。テレビでの知名度だけでなく、寄席で積み重ねた経験と技術が、長く支持される理由の一つでした。
また、二人の漫才は、現代の視点から見ても、笑いが必ずしも強い言葉や目まぐるしい展開だけで成立するわけではないことを教えてくれます。相手の話を受け流す、同じ言葉を繰り返す、わずかな間を置く。そうした一見小さな動作を、観客が期待するリズムへと変えることも、優れた話芸の一つです。
昭和のいる・こいるをこれから知る人には、名物フレーズだけでなく、二人の掛け合い全体に注目することをおすすめします。どちらが話を進め、どちらが受け流すのか。返事の速さや声の調子がどう変化するのか。そこに注目すれば、なぜ長年にわたり観客を笑わせてきたのかが、より鮮明に伝わってきます。
【昭和のいるこいる】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:昭和のいる・こいるは2026年現在も活動していますか。 A1:いいえ。昭和こいるさんは2021年12月30日に、昭和のいるさんは2025年5月24日に亡くなっています。2026年現在、二人とも故人です。
Q2:昭和のいるさんと昭和こいるさんの死因は何ですか。 A2:こいるさんは前立腺がんのため77歳で死去しました。のいるさんは肺炎のため88歳で死去しました。命日と死因は落語協会の公式発表や報道で伝えられています。
Q3:昭和のいる・こいるの本名は何ですか。 A3:昭和のいるさんは岡田弘(おかだ・ひろし)、昭和こいるさんは庄田太一(しょうだ・たいち)です。いずれも落語協会の公式プロフィールに記載されています。
Q4:「ヘーヘーホーホー」の元ネタは何ですか。 A4:特定の作品や人物の台詞を元ネタとする説明は、主要な公式プロフィールや訃報報道では確認できません。こいるさんが漫才の中で繰り返した独特の相づちとして広く知られています。
Q5:昭和のいる・こいるの主な受賞歴は何ですか。 A5:落語協会の公式プロフィールでは、1976年のNHK漫才コンクール優勝、1977年の国立演芸場花形演芸賞銀賞、2000年の浅草芸能大賞奨励賞が紹介されています。
Q6:二人の最後の寄席出演はいつですか。 A6:コンビとしての最後の寄席出演は、2013年7月23日の浅草演芸ホールです。なお、こいるさん個人の最後の仕事は2021年11月28日の公演でした。
昭和のいる・こいるは、1966年の初舞台から長年にわたって活動し、独特の相づちと絶妙な掛け合いで多くの観客に親しまれた漫才コンビです。NHK漫才コンクール優勝をはじめとする受賞歴は、その芸が舞台の世界で高く評価されていたことを示しています。
昭和こいるさんは2021年に前立腺がんで、昭和のいるさんは2025年に肺炎で亡くなりました。しかし、「ヘーヘーホーホー」をはじめとする二人の漫才は、単なる懐かしいフレーズにとどまりません。話す側と受け流す側の絶妙な関係、独特のテンポ、そして寄席で磨かれた技術が一体となった話芸です。
二人の経歴や死去の経緯を知ることは、昭和から平成にかけて東京の寄席文化を支えた芸人の歩みを知ることでもあります。2026年現在、本人たちの新たな舞台を見ることはできませんが、残された映像や記録を通して、その飄々とした笑いと独自の芸風に触れることができます。