四代目市川段四郎(いちかわ・だんしろう)は、澤瀉屋(おもだかや)を支えた歌舞伎俳優です。本名は喜熨斗弘之(きのし・ひろゆき)。1946年7月20日に生まれ、1957年に初舞台を踏み、1969年5月に四代目市川段四郎を襲名しました。古典歌舞伎から新作まで幅広い舞台で活躍し、重要無形文化財保持者(総合認定)への認定や松尾芸能賞の受賞など、長年にわたる芸歴を残しています。
一方、2023年5月18日には76歳で逝去し、長男の四代目市川猿之助との関係や家系図、死因をめぐる報道にも関心が集まりました。2026年現在、人物像を理解するうえで欠かせないのは、歌舞伎界での実績と家族関係、そして逝去に関する報道や裁判で明らかになった事実を区別して把握することです。日本俳優協会や歌舞伎俳優名鑑の記録を軸に、経歴から代表作、晩年までを整理します。
【プロフィール】四代目市川段四郎の本名・生い立ち・人物像

四代目市川段四郎は、歌舞伎の名跡を継ぎ、舞台の要となる役柄を数多く演じた俳優です。派手な主役だけでなく、物語の緊張感や人物同士の対立を支える敵役、老け役などでも評価されました。
公益社団法人日本俳優協会の公式プロフィールによると、本名は喜熨斗弘之。1946年7月20日、三代目市川段四郎の次男として東京に生まれました。屋号は澤瀉屋で、歌舞伎俳優名鑑には定紋として「三升に段の字」「八重澤瀉」が記録されています。
人物像を理解するうえで注目したいのは、長年にわたって舞台の中心を担う役者たちを支えながら、自身も主役級の役柄を演じてきた点です。歌舞伎俳優名鑑の解説では、『絵本太功記』の明智光秀や『毛抜』の粂寺弾正などを務めた経歴が紹介されています。晩年に知られる脇役としての存在感だけでなく、幅広い役柄を経験した俳優だったことが分かります。
また、1974年には重要無形文化財保持者(総合認定)に認定され、伝統歌舞伎保存会の会員となりました。2016年には旭日双光章を受章しています。これらの記録は、個々の舞台での評価にとどまらず、歌舞伎の伝承に長く携わった功績を示すものです。
【経歴・年表】1946年の誕生から1969年の襲名、舞台歴まで
四代目市川段四郎の芸歴は、幼少期の初舞台から始まります。襲名は一度ではなく、初代市川亀治郎、四代目市川団子を経て、四代目市川段四郎へと名跡を改めました。歌舞伎では、こうした襲名が役者としての成長や家の芸の継承を示す重要な節目になります。
| 年月 | 出来事 | 内容・意義 |
|---|---|---|
| 1946年7月20日 | 誕生 | 東京生まれ。本名は喜熨斗弘之。 |
| 1957年4月 | 初舞台 | 歌舞伎座『熊野』の女童役で初代市川亀治郎を名乗る。 |
| 1961年7月 | ソ連公演に参加 | 海外公演を経験し、活動の場を広げる。 |
| 1963年5月 | 四代目市川団子を襲名 | 『雪月花三重暗闘』の沙那王を演じる。 |
| 1969年5月 | 四代目市川段四郎を襲名 | 歌舞伎座『根元草摺引』の五郎などを務める。 |
| 1974年4月 | 重要無形文化財保持者に認定 | 総合認定による認定を受ける。 |
| 1977~1993年 | 海外公演に参加 | 英米加、欧州、米国などの公演に参加。 |
| 2009年3月 | 松尾芸能賞を受賞 | 第30回松尾芸能賞の松尾國三賞を受賞。 |
| 2016年 | 旭日双光章を受章 | 長年の活動に対する顕彰を受ける。 |
| 2023年5月18日 | 逝去 | 76歳で死去。 |
年表の基礎となる記録は、日本俳優協会の公式プロフィールと歌舞伎俳優名鑑に掲載されています。特に1969年の襲名は、四代目市川段四郎としての芸歴を語るうえで重要な転機です。
海外公演への参加も見逃せません。日本俳優協会の記録には、1977年の英米加公演、1981年のヨーロッパ公演、1989年のアメリカ公演、1993年のヨーロッパ公演などが記されています。伝統芸能を国内の劇場だけにとどめず、海外の観客に届ける活動にも携わっていました。
なお、襲名の年と初舞台の年を混同しないことも大切です。1957年に初代市川亀治郎として初舞台を踏み、1963年に四代目市川団子、1969年に四代目市川段四郎を名乗りました。三つの名前は同じ人物の異なる時期の芸名です。
【家系図】澤瀉屋と市川猿之助の関係、妻・喜熨斗延子について
四代目市川段四郎の家族関係を理解するには、歌舞伎の名跡と実際の親子関係を分けて見る必要があります。市川段四郎と市川猿之助は別々の名跡ですが、どちらも澤瀉屋に連なる名前です。
段四郎は三代目市川段四郎の次男で、長男は四代目市川猿之助です。四代目市川猿之助は、本名を喜熨斗孝彦といい、1975年11月26日生まれ。1983年に二代目市川亀治郎として初舞台を踏み、2012年に四代目市川猿之助を襲名しました。父と息子は同じ澤瀉屋の系譜に属し、それぞれ異なる名跡を継いでいます。
また、四代目市川段四郎の父は三代目市川段四郎で、祖父の世代には市川猿之助の名跡につながる人物がいます。澤瀉屋では、段四郎、団子、猿之助といった名跡が家系や芸の継承に結びついてきました。ただし、同じ一門に属しているからといって、すべての名跡が親から子へ一直線に継承されるわけではありません。
妻は喜熨斗延子さんです。夫妻には長男の四代目市川猿之助がいました。延子さんも2023年5月18日に亡くなっています。松竹が2023年7月に公表した後援会の説明によると、夫妻の葬儀は同年5月下旬に近親者のみの家族葬として執り行われ、四十九日法要と納骨を終えた後に公表されました。遺族側は、それ以上の詳細について公表を控える意向を示しています。
家系図を見る際に特に注意したいのが、名跡の「代数」と家族の世代は同じ意味ではないという点です。四代目市川段四郎と四代目市川猿之助は、同じ「四代目」という表記でも別の名跡です。また、四代目市川猿之助の父が四代目市川段四郎であることと、二人が同じ芸名を使っていることは別の話です。名前の類似だけで人物を同一視しないことが、澤瀉屋の系譜を理解する基本になります。
【代表作と受賞歴】脇役の大役で澤瀉屋を支えた実力
四代目市川段四郎の舞台歴を振り返ると、役柄の幅広さが際立ちます。歌舞伎俳優名鑑では、『小栗判官』の横山大膳、『神霊矢口渡』の頓兵衛、『俊寛』の瀬尾、『夏祭浪花鑑』の釣舟三婦、『石切梶原』の六郎太夫などが代表的な役として挙げられています。
これらは、物語の敵役や年配の人物など、作品の骨格を支える役柄です。主役の見せ場だけでなく、対立関係を生み出したり、物語の背景に説得力を与えたりする役が重要な意味を持ちます。段四郎は、そうした役を通して舞台全体の厚みを生み出してきました。
一方、若い頃には『絵本太功記』の明智光秀や『毛抜』の粂寺弾正など、主役を務めた経歴もあります。後年の評価を「脇役専門」と単純化するのは適切ではありません。主役から脇の大役まで経験を積んだことが、長い芸歴の特徴です。
受賞歴も具体的です。日本俳優協会の記録では、1987年に歌舞伎座『悪太郎』などで松竹社長賞優秀賞、1993年と2001年に真山青果賞大賞、1995年に歌舞伎座賞、1996年に松竹会長賞を受賞しています。2002年には『仮名手本忠臣蔵』で国立劇場優秀賞、2009年には第30回松尾芸能賞の松尾國三賞を受賞しました。2016年の旭日双光章も、芸歴をたどるうえで重要な節目です。
加えて、日本俳優協会では1971年に幹事、1977年に評議員、2001年に理事、2012年に公益社団法人化後の理事、2014年に参与を務めた記録があります。舞台に立つ俳優としてだけでなく、歌舞伎界の運営に関わる立場でも活動していました。
この経歴から見えてくるのは、段四郎の評価が一つの代表作や一度の受賞だけで成立しているわけではないことです。さまざまな作品の役柄を積み重ね、後進や一門を支え、伝統芸能を継承する仕事にも関わったことが、長期的な評価につながっています。
【2023年5月18日の逝去】死因の報道と裁判で明らかになった事実
2023年5月18日、四代目市川段四郎は76歳で亡くなりました。同日、東京都目黒区の自宅で段四郎、妻の喜熨斗延子さん、長男の市川猿之助が倒れているのが見つかり、夫妻の死亡が確認されたと報じられました。松竹も同日、段四郎夫妻の逝去について公式にコメントを発表しています。
死因については、発覚直後の報道と、その後の司法手続きで明らかになった事実を区別する必要があります。2023年5月19日、警視庁が司法解剖の結果として夫妻の死因を「向精神薬中毒の疑い」と説明したことが報じられました。初期段階では、死亡に至った経緯について捜査が続いていました。
その後、長男の市川猿之助は、両親への自殺ほう助の罪で起訴されました。2023年11月17日、東京地方裁判所は懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を言い渡し、同月20日付で判決が確定したと報じられています。裁判では、両親に向精神薬を服用させて死亡させた自殺ほう助の罪が審理され、本人も起訴内容を認めました。
ここで押さえておきたいのは、死因に関する初期報道と、刑事裁判で認定された内容は異なる段階の情報だという点です。初期報道の「疑い」という表現だけで事件の全容を説明することはできません。その後の裁判では自殺ほう助について有罪判決が確定しており、報道の時点を区別して理解することが欠かせません。
夫妻の葬儀については、松竹が2023年7月26日に後援会の説明を公表しました。葬儀は5月下旬に近親者のみの家族葬として執り行われ、四十九日法要と納骨も終了したとされています。詳細については施主の意向により公表を控える旨も示されました。
加えて、2024年1月28日には、二代目市川猿翁と四代目市川段四郎の合同お別れ会「澤瀉屋送る会」が開催されました。ORICON NEWSなどの報道によると、関係者ら約700人が参列し、二人の功績をしのびました。2026年現在、段四郎本人の新たな活動を追う状況ではありませんが、公式の芸歴記録やこうした追悼の場を通じて、その舞台人生を振り返ることができます。
【四代目市川段四郎】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:四代目市川段四郎の本名は何ですか?
A1:本名は喜熨斗弘之(きのし・ひろゆき)です。1946年7月20日に東京で生まれ、2023年5月18日に76歳で亡くなりました。
Q2:四代目市川段四郎は、いつ襲名しましたか?
A2:1969年5月、歌舞伎座で『根元草摺引』の五郎などを務め、四代目市川段四郎を襲名しました。それ以前には初代市川亀治郎、四代目市川団子を名乗っています。
Q3:四代目市川段四郎と市川猿之助の関係は?
A3:四代目市川段四郎は、四代目市川猿之助の父親です。猿之助の本名は喜熨斗孝彦で、段四郎の本名である喜熨斗弘之とは異なります。
Q4:妻の名前と逝去日は?
A4:妻は喜熨斗延子さんで、段四郎と同じ2023年5月18日に亡くなりました。夫妻の葬儀は同年5月下旬に近親者のみの家族葬として行われたと、松竹が後援会の説明を公表しています。
Q5:四代目市川段四郎の死因は何ですか?
A5:2023年5月の報道では、司法解剖の結果、死因は向精神薬中毒の疑いとされました。その後、長男の市川猿之助について両親への自殺ほう助の有罪判決が確定しています。
Q6:代表作や受賞歴には何がありますか?
A6:代表的な役柄には、『絵本太功記』の明智光秀、『毛抜』の粂寺弾正、『俊寛』の瀬尾、『夏祭浪花鑑』の釣舟三婦などがあります。2009年には第30回松尾芸能賞の松尾國三賞を受賞し、2016年には旭日双光章を受章しました。
四代目市川段四郎は、1946年に生まれ、1957年の初舞台から1969年の襲名を経て、長年にわたり澤瀉屋を支えた歌舞伎俳優です。主役級の役柄から舞台の要となる敵役・老け役まで幅広く務め、重要無形文化財保持者への認定、松尾芸能賞の受賞、旭日双光章の受章など、数多くの記録を残しました。
家系図を理解する際は、四代目市川段四郎と四代目市川猿之助が父子であること、そして「段四郎」「団子」「猿之助」という名跡が澤瀉屋の系譜のなかで受け継がれてきたことが重要です。本名や襲名歴を確認すれば、同じ一門に属する人物や歴代の名跡を混同しにくくなります。
2023年5月18日の逝去については、死因に関する初期報道と、その後の裁判で確定した事実を分けて把握する必要があります。2026年に段四郎の人物像を調べるなら、日本俳優協会の公式プロフィール、歌舞伎俳優名鑑の芸歴・受賞歴、松竹の発表、裁判に関する信頼できる報道を照らし合わせることが、経歴と功績を正確に理解するための確かな手がかりになります。