「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」は、笑福亭鶴瓶と放送作家・新野新がラジオ大阪(OBC)で繰り広げた、昭和の深夜ラジオ史に残る伝説的な番組です。1978年4月に始まり、1989年10月1日に終了するまで約11年半にわたり放送されました。台本に縛られない自由なトークと、リスナーから寄せられる大量の手紙が生み出した独特の文化は、番組の枠を超えて広がりました。
2026年現在、この番組を振り返るうえで欠かせないのが、2025年9月に90歳で亡くなった新野新と、同年12月に放送された追悼特別番組です。なぜ終了したのか、「ぬかる民」とは何者だったのか、甲斐よしひろとの生放送中の口論にはどんな経緯があったのか。2001年のインターネットラジオ展開や、現在も語り継がれる千房の「ぬかるみ焼」まで、番組の歴史と人気の本質を振り返ります。
【番組の原点】鶴瓶・新野のぬかるみの世界とは?放送期間と歴史

「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」は、ラジオ大阪が制作した日曜深夜のラジオ番組です。落語家の笑福亭鶴瓶と、テレビ・ラジオの構成や演出を手がけた放送作家の新野新が出演し、日常の出来事や人間関係、世の中への疑問などを自由に語り合いました。
番組を企画したのは、当時のディレクターだった岩本重義です。2019年のデイリースポーツのインタビューで岩本は、当初、鶴瓶と母親役の女性が話す番組を構想していたものの、鶴瓶本人が男性同士で新野とやりたいと希望し、新野を口説いた経緯を明かしています。こうして生まれたのが、親子の会話ではなく、年齢も個性も異なる男性2人による、予測のつかない長時間のトークでした。
当時の深夜ラジオは、テレビとは異なる距離感で出演者とリスナーがつながるメディアでした。「ぬかるみの世界」は、その特性を存分に生かした番組です。整然とした進行や完成された結論よりも、脱線、言い合い、何気ない雑談そのものが魅力になりました。
放送時間は日曜深夜の午前0時から始まるスタイルで、当時の報道では2時間半にわたってトークを展開した番組として紹介されています。リスナーの投書が新たな話題を生み、その話題が次の投書を呼ぶ。出演者とリスナーが一緒に番組の文化をつくり上げていった点が、大きな特徴でした。
【人気の理由】ぬかる民の意味と、5000人が集まった社会現象
「ぬかる民」とは、「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」を聴き、番組を熱心に応援したリスナーを指す呼び名です。単に番組を聴く人というよりも、番組内の話題や言葉を共有し、投書やイベントを通じて番組に参加するファン共同体を意味していました。
番組人気を示す具体的な数字が、リスナーから届いた手紙の数です。2019年のデイリースポーツによる岩本重義と新野新への取材では、毎週300〜500通ほどの投書が届いていたと紹介されています。岩本がその一部を選んで鶴瓶に渡し、鶴瓶は手紙を読み込んで放送に臨んでいました。手紙は単なる感想ではなく、番組の話題を生み出す重要な素材だったのです。
番組内では「おじん・おばん」や、おにぎりを誰が握ったなら食べられるかといった、一見すると他愛のないテーマが議論に発展しました。独自の言い回しや、番組を通じて共有される「ぬかるみ語」も生まれ、リスナー同士が同じ世界観を持つきっかけになりました。
熱狂を象徴する出来事が、1980年の「新世界ツアー」です。リスナーからの投書をきっかけに鶴瓶と新野が大阪・新世界を訪れたところ、約5000人ものファンが集まり、大きな騒動となりました。報道によると警察の機動隊も出動し、翌朝の新聞社会面で取り上げられる事態に発展しています。
深夜ラジオの出演者を一目見ようと、これほど多くの人が集まったことは、番組の影響力を物語ります。番組の中で語られたことが、実際の行動につながる。リスナーは放送を受け取るだけの存在ではなく、番組の外側でも「ぬかるみの世界」を形づくる一員でした。
人気の理由は、鶴瓶と新野の会話の面白さだけではありません。リスナーの手紙が採用される可能性があり、他のリスナーの反応も次の放送につながるという参加感がありました。現在のSNSやオンラインコミュニティに通じる構造を、番組はインターネットが普及する以前から実現していたのです。
【放送終了の真相】なぜ1989年にぬかるみの世界は終わったのか
「ぬかるみの世界」の放送終了は1989年10月1日です。長年にわたり熱心なファンを獲得していた番組だけに、終了の理由が気になる人も少なくありません。しかし、当時の放送局上層部が人気番組を一方的に打ち切った、という説明は、関係者の証言とは異なります。
2019年9月のデイリースポーツのインタビューで、岩本重義は、番組終了について「上層部の判断とかではありません」と説明し、新野と鶴瓶の2人がいったん番組に幕を下ろすことを決めたと振り返っています。長年にわたって番組を担当したディレクターの証言からは、局側による単純な打ち切りとは違う経緯が見えてきます。
一方、番組が順風満帆に始まったわけではありません。千房ホールディングスの公式サイトによると、放送開始から約1年間はスポンサーがつかない状態でした。番組の運営が当初から安定していたわけではなく、熱心なリスナーの存在と、スポンサーによる支援が番組の継続を支えたのです。
岩本は同じインタビューで、鶴瓶が毎週膨大な数の投書を読むことの負担もあったのではないかと推測しています。ただし、これは岩本自身の見立てであり、終了理由として確定した説明ではありません。終了の真相を考える際には、本人たちの判断という証言と、長期間の番組運営に伴う負担についての推測を分けて理解する必要があります。
放送終了後も復活を望む声は根強く、岩本も2019年の取材で、再び番組を行う可能性についてタイミング次第という考えを示していました。番組が終わったからといって、ぬかる民とのつながりまで消えたわけではなかったのです。
放送期間と主な出来事を整理すると、次のようになります。
| 時期 | 出来事 | 意味・背景 |
|---|---|---|
| 1978年4月 | ラジオ大阪で放送開始 | 笑福亭鶴瓶と新野新による日曜深夜のトーク番組がスタート。 |
| 1978年の初回放送 | 甲斐よしひろとの口論が話題に | 生放送ならではの緊張感と、予定調和ではない番組の性格を象徴。 |
| 1979年ごろ | 千房がスポンサーとして支援 | ぬかる民だった中井政嗣の協力が番組の継続を後押し。 |
| 1980年 | 新世界ツアーに約5000人が集結 | 番組人気が社会現象へと発展。 |
| 1989年10月1日 | レギュラー放送終了 | 岩本重義の証言では、鶴瓶と新野の判断による終了。 |
| 2001年 | 「鶴瓶・新野のnukarumi.com」展開 | インターネットラジオという新たな媒体で番組が復活。 |
| 2025年12月21日 | 新野新を偲ぶ特別番組を放送 | 鶴瓶がリスナーの便りを紹介しながら、新野との思い出を語った。 |
【甲斐よしひろとの口論】初回放送で何が起きたのか
「ぬかるみの世界」をめぐるエピソードの中でも、現在まで語り継がれているのが、甲斐バンドの甲斐よしひろと新野新が生放送中に口論した出来事です。番組の初回ゲストとして知られる甲斐と新野のやり取りは、単なる出演者同士の衝突にとどまらず、番組の自由な雰囲気を象徴する話として記憶されています。
2019年8月のデイリースポーツのインタビューで、新野は口論のきっかけについて、美空ひばりの話題が出た際、甲斐の発言が自分には彼女を侮辱するように聞こえたため、反論したと振り返っています。甲斐が実際に美空ひばりを侮辱する意図で発言したと確認されたわけではなく、当時の新野がそう受け取ったことが衝突の発端でした。
この出来事については、怒声や物が倒れる音が放送に乗ったことも伝えられています。一方で、激しい口論があったことと、後年に語られた細かな騒動の描写は分けて考える必要があります。
当時のディレクターだった岩本重義は、同インタビューで、放送後に鶴瓶から甲斐が灰皿を持ったという話を聞いたものの、ディレクター席からは冷静に話しているように見え、立ち上がった様子も見ていないと説明しています。つまり、後世に広まった劇的なエピソードのすべてが、現場で確認された事実というわけではありません。
この口論を番組側が意図的に仕組んだ演出だったとする説明も、新野自身の証言とは一致しません。新野は、甲斐との音楽的な感覚の違いも背景にあったと振り返っています。生放送の緊張感、出演者の価値観の違い、そして発言をその場で受け止めて反応するスタイルが重なり、忘れがたい場面になったのです。
この一件が現在も語られる理由は、単に有名人同士が言い争ったからではありません。あらかじめ整えられた台本に沿って進む番組とは異なり、その場で起きたことがそのまま電波に乗るという、当時の生放送ならではの性格が鮮明に表れたからです。
【2001年のネットラジオと千房】ぬかるみ焼に残る番組の影響力
1989年のレギュラー放送終了後、「ぬかるみの世界」は完全に過去のものになったわけではありません。2001年には、インターネットラジオ「ラジ@」を通じて「鶴瓶・新野のnukarumi.com」が展開されました。当時のASCII.jpの記事によると、笑福亭鶴瓶と新野新が再び出演し、無料の特別番組を経て、同年10月から有料のレギュラー配信を始める計画が発表されました。
この企画では、音声番組だけでなく、出演者やユーザーが交流するコミュニティー、番組の出来事や語録をまとめる辞典、掲示板、ライブ配信時のチャットなども構想されていました。つまり、過去の番組を単に再放送するのではなく、インターネット上に「ぬかる民」の交流の場をつくろうとしたのです。
2001年当時は、現在のように音声コンテンツをスマートフォンでいつでも聴ける環境が整っていたわけではありません。インターネットを通じて出演者とリスナーを結び、コミュニティーを形成する試みは、当時のメディア環境を考えると先進的なものでした。ただし、当時の配信企画と、2026年に同じサービスが継続していることは別の話です。過去の配信実績を、現在も自由に聴ける常設アーカイブの存在と混同しないようにしたいところです。
もう一つ、番組の影響力を現在に伝える存在が、お好み焼きチェーンの千房と「ぬかるみ焼」です。
千房ホールディングスの公式サイトによると、同社の中井政嗣は「ぬかる民」であり、番組のスポンサーとして支援しました。番組の開始当初は約1年間スポンサーがつかなかったものの、中井の協力によって状況が変わっていきます。鶴瓶が番組内で千房のお好み焼きについて話題にしたことも、若者の間で店の知名度が広がるきっかけになりました。
「ぬかるみ焼」の誕生には、鶴瓶のアドリブが関係しています。鶴瓶がリスナーに向けて、千房で「ぬかるみ焼」を食べたかと話しかけたところ、実際に店を訪れて注文するリスナーが現れました。しかし、当初はその名前のメニューが存在せず、番組に苦情の手紙が届いたといいます。
そこで中井は、当時750円だったミックス焼を600円で提供する形で対応しました。メニュー表などには載せず、番組を聴いた人が注文する裏メニューとして展開したのです。千房の公式サイトによれば、番組内で触れられた翌日には40枚の注文が入ったといいます。放送での何気ない一言が、実際の店舗への来店につながった好例です。
さらに注目したいのは、千房の公式サイトが2026年現在も「ぬかるみ焼」を裏メニューとして紹介している点です。同社の案内では、全国の店舗で注文できるとされています。番組の放送終了から数十年を経ても、リスナーの記憶と企業の歴史が結びついた形で、その名前が残っているのです。
【2026年現在】新野新の死去と追悼特番、ぬかるみの世界は今も続くのか
2026年現在、「ぬかるみの世界」を振り返るうえで最も大きな出来事は、新野新の死去と、その後に放送された追悼特別番組です。日刊スポーツなどの報道によると、新野は2025年9月25日午後8時2分、老衰のため大阪市内の病院で亡くなりました。90歳でした。放送作家として長年にわたり関西のテレビ・ラジオ文化を支えた人物であり、「ぬかるみの世界」はその代表的な仕事の一つです。
ラジオ大阪は2025年12月21日深夜、「新野新さんを偲ぶ 鶴瓶ひとりのぬかるみの世界」を放送しました。笑福亭鶴瓶が出演し、全国のぬかる民から寄せられた便りを紹介しながら、新野との思い出を語る特別番組です。放送時間も当時と同じ日曜深夜に設定され、長年のリスナーにとって番組の記憶をたどる機会となりました。
ラジオ大阪の放送後の発表によれば、当日は「ガンさん」の愛称で親しまれた岩本重義や、番組を支えた千房の中井政嗣も立ち会い、全国のリスナーから多くのメッセージが寄せられました。鶴瓶は新野とのやり取りを振り返り、自由に話すことを許してくれた新野の存在が、自身の芸風にも大きな影響を与えたと語っています。
この特別番組は、2026年時点で確認できる近年の大きな復活企画です。ただし、一夜限りの追悼放送と、レギュラー番組の再開は異なります。現在、かつての「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」が同じ形で定期放送されているわけではありません。また、2025年の放送が終了した後、当時と同じ条件で聴ける音源が常設されているかどうかも、別途確認が必要です。
新野が亡くなったことで、鶴瓶と新野の2人がそろう従来の形式で番組を再現することはできなくなりました。それでも、追悼特番に全国から便りが集まったことは、番組が単なる懐かしい娯楽ではなく、リスナーそれぞれの記憶と結びついていることを示しています。
現在の「ぬかるみの世界」は、レギュラー放送という形ではなく、過去の記録、関係者の証言、リスナーの記憶、そして千房の「ぬかるみ焼」のような文化的な痕跡を通じて受け継がれています。番組そのものが終わっても、番組から生まれた言葉や交流まで消えたわけではありません。
【ぬかるみの世界】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ぬかるみの世界の放送期間はいつからいつまでですか?
A1:ラジオ大阪で1978年4月に始まり、1989年10月1日に終了しました。約11年半にわたって放送された日曜深夜のラジオ番組で、笑福亭鶴瓶と新野新が出演しました。
Q2:ぬかるみの世界が終了した本当の理由は何ですか?
A2:当時のディレクター・岩本重義は、2019年のデイリースポーツのインタビューで、局の上層部による打ち切りではなく、鶴瓶と新野の2人が終了を判断したと説明しています。毎週大量に届く投書を読む負担もあったのではないかと岩本は推測していますが、それが確定した終了理由というわけではありません。
Q3:「ぬかる民」とはどんな意味ですか?
A3:「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」を熱心に聴いていたリスナーの呼び名です。投書やイベントを通じて番組に参加し、番組独自の言葉や話題を共有するファン共同体を形成しました。1980年の新世界ツアーに約5000人が集まったことは、その熱狂を象徴する出来事です。
Q4:ぬかるみの世界は2026年現在も聴けますか?
A4:2025年12月21日には、ラジオ大阪が新野新を偲ぶ特別番組を放送しました。一方、当時のレギュラー番組が現在も定期放送されているわけではありません。過去の音源については、ラジオ大阪の案内や公式の配信情報を確認する必要があります。2001年の「nukarumi.com」は当時のインターネットラジオ企画であり、現在の常設配信と同一ではありません。
Q5:千房の「ぬかるみ焼」は現在も注文できますか?
A5:千房ホールディングスの公式サイトでは、現在も裏メニューとして紹介されています。同社の案内では全国の店舗で注文できるとされていますが、提供条件などは利用する店舗で確認すると確実です。
「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」は、1978年4月から1989年10月1日まで続いた深夜ラジオ番組です。笑福亭鶴瓶と新野新による自由な会話、毎週届く大量の投書、独自の言葉、そして新世界ツアーに集まった約5000人のリスナーは、番組が社会現象にまで発展したことを物語っています。
放送終了については、岩本重義の証言から、局側による単純な打ち切りではなく、鶴瓶と新野の判断だったことが分かります。甲斐よしひろとの口論や、千房の「ぬかるみ焼」、2001年のインターネットラジオ展開も、番組が音声放送の枠を超えて影響を与えたことを示すエピソードです。
2025年9月に新野新が90歳で亡くなった後、同年12月にはラジオ大阪が追悼特番を放送しました。2026年現在、2人によるレギュラー番組は復活していませんが、番組の記憶は関係者の証言やリスナーの便り、千房の裏メニューなどに残っています。
【プロの結論】「ぬかるみの世界」の本当の価値は、出演者が面白い話をしたことだけではありません。リスナーの声を番組の中心に置き、放送の外側にまで共通の文化を生み出した点にあります。番組を初めて知る人は、放送期間や終了理由といった基本情報に加え、ぬかる民の参加文化や関係者の証言にも目を向けると、その独自性がより鮮明になります。
懐かしさだけでは説明できない熱狂が、なぜ生まれ、なぜ数十年を経ても語られるのか。「ぬかるみの世界」は、ラジオが人と人とのつながりを生み出す力を、今に伝える貴重な存在です。
主な参照資料:ラジオ大阪の公式告知・放送後発表、千房ホールディングス公式サイト、デイリースポーツによる岩本重義・新野新へのインタビュー、日刊スポーツの新野新追悼記事、ASCII.jpの2001年インターネットラジオ関連記事、国立国会図書館サーチ所蔵資料。