女優の樹木希林さんが亡くなったのは、2018年9月15日です。享年75歳。長年にわたりテレビドラマ、映画、CMで活躍し、晩年まで独自の存在感を放ち続けた日本を代表する俳優の一人でした。
樹木希林さんの死去を振り返るうえで欠かせないのが、乳がんとの長い闘病生活、芸名を変えながら築いた女優としてのキャリア、そして夫・内田裕也さんとの長年の別居生活です。娘の内田也哉子さんとの関係や、最初の夫である俳優・岸田森さんとの結婚と離婚にも関心が寄せられてきました。ここでは、報道各社の訃報記事、人物プロフィール、本人や家族の公表した内容をもとに、死去の日付から生涯の主要な出来事まで整理します。
【死去はいつ?】2018年9月15日の命日と享年75歳、最期までの経緯

樹木希林さんが亡くなったのは、2018年9月15日午前2時45分です。日刊スポーツなどの報道によると、東京都内の自宅で家族に見守られながら息を引き取りました。生年月日は1943年1月15日で、享年は75歳です。
そのため、「樹木希林の死去はいつ?」「命日は何月何日?」という疑問への答えは、いずれも2018年9月15日となります。2026年時点では、逝去から8年が経過しています。
死因は乳がんによる全身転移と報じられた樹木希林さんは2004年に乳がんが見つかり、右乳房の全摘出手術を受けたことが報じられています。その後も治療を続け、2013年には日本アカデミー賞の授賞式で、自身が全身がんであることを公表しました。
日刊スポーツは2018年9月30日の葬儀に関する報道で、関係者が死因について「乳がんが原因の全身転移」と説明したと伝えています。長年にわたる闘病と並行して俳優活動を続けていたことは、晩年の樹木さんを語るうえで重要な背景です。
なお、全身がんという表現は、当時の本人の公表に基づくものです。がんの医学的な分類を示す一般用語として一律に扱うのではなく、本人が公表した病状と、葬儀で報じられた死因を区別して理解する必要があります。
亡くなる直前に病院から自宅へ戻っていた2018年8月、樹木希林さんは左大腿骨を骨折して入院し、手術を受けました。その後、亡くなる前日の9月14日に本人の希望で自宅へ戻り、翌15日未明に亡くなりました。
娘の内田也哉子さんは、後年のインタビューで、母が自宅へ戻ってから約12時間後に息を引き取ったと振り返っています。以前から自宅で最期を迎えたいという希望があったことも語られており、最後まで本人の意思が尊重された経緯がうかがえます。
樹木希林さんの死去は、長い闘病の末の出来事であると同時に、最期の過ごし方を自分で選ぼうとした人生の姿勢を伝える出来事でもありました。
【女優としての経歴】旧芸名・悠木千帆から樹木希林へ
樹木希林さんは1943年1月15日、東京府東京市神田区、現在の東京都千代田区に生まれました。本名は内田啓子(うちだ・けいこ)で、旧姓は中谷です。
1961年に文学座附属演劇研究所へ入所し、芸名「悠木千帆」で女優活動を開始しました。1964年にはテレビドラマ『七人の孫』に出演。東北弁を話すお手伝いさん役などで注目を集め、その後、テレビドラマや映画、CMへと活躍の場を広げていきます。
1977年の改名がキャリアの転機に現在よく知られている「樹木希林」という芸名を使い始めたのは1977年です。チャリティー番組のオークション企画に旧芸名の「悠木千帆」を出品したことが改名のきっかけとなりました。
改名後は、個性的な脇役から作品の中心となる人物まで、幅広い役柄を演じる俳優として評価を高めます。特に1970年代のテレビドラマでは、日常的な会話に独特の間合いやユーモアを持ち込み、強い印象を残しました。
代表的な出演作には、テレビドラマ『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー』『ムー一族』があります。映画では『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』『歩いても 歩いても』『悪人』『わが母の記』『あん』『海街diary』『万引き家族』などに出演しました。
年齢を重ねるほど存在感を増した演技樹木希林さんの演技の特徴は、外見や声色だけで人物を表現するのではなく、視線、沈黙、言葉の選び方、相手との距離感まで含めて役柄を成立させる点にあります。若い頃から老け役を演じてきた経験も、後年の役柄に生かされました。
映画賞の分野でも評価は高く、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』や『わが母の記』などで日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。『悪人』では最優秀助演女優賞を受賞しています。喜劇的な演技だけでなく、老い、家族、喪失といった重いテーマを扱う作品でも存在感を示しました。
2018年公開の『万引き家族』にも出演しており、晩年まで第一線で活動を続けました。日本映画専門チャンネルやORICON NEWSなどの人物紹介でも、テレビドラマから映画まで長年にわたって活躍した経歴が紹介されています。
【プロフィール・年表】生年月日、本名、出身地から晩年まで
樹木希林さんの生涯を理解するには、芸名の変遷、結婚歴、闘病、晩年の出演作を時系列で整理すると分かりやすくなります。キネノートの略歴や各社の訃報記事などで紹介された情報をもとに、主要な節目をまとめました。
| 時期・年月日 | 出来事 | 主なポイント |
|---|---|---|
| 1943年1月15日 | 誕生 | 東京府東京市神田区生まれ。本名は内田啓子、旧姓は中谷。 |
| 1961年 | 文学座附属演劇研究所に入所 | 「悠木千帆」の芸名で女優活動を始める。 |
| 1964年 | テレビドラマ『七人の孫』に出演 | テレビで注目を集める。同年、俳優の岸田森さんと結婚。 |
| 1968年 | 岸田森さんと離婚 | 最初の結婚生活に終止符を打つ。 |
| 1973年10月 | 内田裕也さんと再婚 | 後に長女の内田也哉子さんをもうける。 |
| 1977年 | 「樹木希林」に改名 | 旧芸名の「悠木千帆」をオークション企画に出品したことがきっかけ。 |
| 1981年 | 離婚無効をめぐる訴訟 | 内田裕也さんが提出した離婚届をめぐり、樹木さん側が争い、勝訴した。 |
| 2004年 | 乳がんが見つかる | 手術を受け、その後も治療を続けながら活動した。 |
| 2013年 | 全身がんであることを公表 | 日本アカデミー賞の授賞式で病状に言及した。 |
| 2018年9月15日 | 死去 | 75歳。東京都内の自宅で家族に見守られながら亡くなった。 |
この年表から分かるのは、樹木希林さんの人生が、女優としての仕事だけでなく、結婚や家族関係、病気との向き合い方によっても大きく形づくられていたことです。ただし、私生活の出来事と演技の評価を単純に結びつけるのではなく、それぞれを独立した事実として捉えることが大切です。
【結婚と離婚】岸田森との最初の結婚、内田裕也との長年の別居
樹木希林さんの結婚歴は、俳優の岸田森さんとの結婚・離婚と、ロックミュージシャンの内田裕也さんとの再婚に分けられます。特に内田さんとの関係は、結婚後まもなく別居し、その後も長期間にわたって婚姻関係が続いたことで広く知られています。
岸田森さんとは1964年に結婚、1968年に離婚樹木希林さんは1964年、俳優の岸田森さんと結婚しました。しかし、結婚生活は長く続かず、1968年に離婚しています。岸田さんは俳優として舞台やテレビドラマ、映画で活躍した人物です。
この結婚と離婚は、樹木さんの若い時期にあたる出来事です。後年の内田裕也さんとの結婚が注目されがちですが、岸田さんとの結婚も、本人の人生を振り返るうえで欠かせない経歴の一つです。
1973年に内田裕也さんと再婚、ほどなく別居1973年10月、樹木希林さんは歌手・ミュージシャンの内田裕也さんと再婚しました。しかし、夫婦は結婚後まもなく別居するようになり、その状態は長年にわたって続きました。
2013年のデイリースポーツの報道では、約40年に及ぶ別居生活が取り上げられています。二人は一般的な夫婦のように同居を続けたわけではありませんが、別居していたことだけを理由に、法的にも離婚していたと理解するのは誤りです。
1981年の離婚届と離婚無効訴訟1981年には、内田裕也さんが樹木希林さんに無断で離婚届を提出したと報じられました。樹木さんは離婚を認めず、離婚無効を求めて訴訟を起こし、勝訴しています。
そのため、二人の関係を整理する際には、「別居」と「離婚」を区別する必要があります。二人は長年別々に暮らしていたものの、離婚届をめぐる争いでは樹木さん側の主張が認められ、法的な婚姻関係が維持されました。
夫婦関係をめぐる報道には、驚きを誘うエピソードや独特の言動が取り上げられることもありました。しかし、長期間の別居を単純に夫婦円満の証拠とみなしたり、反対に不仲だけで説明したりすることも適切ではありません。公表された経緯と、本人たちが語った内容を分けて理解する必要があります。
【娘・内田也哉子との関係】家族が語った母の最期と生き方
樹木希林さんと内田裕也さんの間には、長女の内田也哉子さんがいます。也哉子さんはエッセイストなどとして活動し、俳優の本木雅弘さんと結婚しました。母の死後には、樹木さんの人柄や晩年の暮らしについて、インタビューなどで振り返っています。
母と娘の関係を知る手がかりは、也哉子さんの証言樹木さんの家族関係を考える際、本人の発言だけでなく、娘の也哉子さんが公の場で語った内容も重要です。TBSラジオ関連のインタビューやテレビ番組に関する報道では、母が日常生活や老い、死をどのように受け止めていたのか、家族がどのような思いで見守ったのかが紹介されています。
也哉子さんによると、樹木さんは最期を自宅で迎えたいという思いを持っており、入院先から自宅へ戻った後、短い時間のうちに亡くなりました。家族にとっては突然の別れであった一方、母が望んでいた場所で最期を迎えられたことも、後年の振り返りの中で語られています。
こうした証言からは、樹木さんが家族に対しても自分の考えを率直に伝え、自らの人生の終わり方について意思を持っていたことが伝わります。ただし、家族の証言はそれぞれの立場からの回想であり、家族全員が同じ気持ちだったと一括りにすることはできません。
別居していても、家族としての関係は続いていた樹木希林さんと内田裕也さんは長く別居していましたが、二人の関係が完全に断絶していたわけではありません。樹木さんの死後、内田さんは故人を悼むコメントを発表し、感謝の言葉を伝えました。長年の別居という事実と、夫婦の間に存在した感情やつながりは、必ずしも同じものではありません。
また、也哉子さんは母の死後も、家族として経験した出来事や母の考え方を伝えてきました。こうした発言は、樹木さんの私生活を理解するうえで参考になりますが、家族の内面を必要以上に推測するのではなく、本人たちが公に語った範囲で受け止めることが重要です。
【プロの結論】樹木希林の生涯から分かることと、よくある誤解
樹木希林さんの生涯を振り返ると、芸名の変更、長年にわたる俳優活動、複雑な夫婦関係、そして病気との向き合い方という複数の側面が見えてきます。どれか一つのエピソードだけで人物像を決めつけると、その幅広さを見失いかねません。
誤解1:長年別居していたため、内田裕也とは離婚していたこれは正確ではありません。二人は長く別居していましたが、1981年の離婚届をめぐる訴訟では、樹木さんが離婚無効を求めて勝訴しました。別居生活と法的な離婚は別の事柄です。
誤解2:「悠木千帆」と「樹木希林」は別人「悠木千帆」は樹木希林さんが女優活動を始めた当初の芸名です。1977年に樹木希林へ改名したため、二つの名前は同じ人物の経歴につながっています。人物紹介を調べるときは、芸名の変遷を押さえることで出演歴を追いやすくなります。
誤解3:がんを公表した後は、俳優活動をやめていた樹木希林さんは病気を公表した後も俳優活動を続け、映画『万引き家族』をはじめとする作品に出演しました。闘病していた事実と、仕事を続けていた事実は両立します。病気だけを人物像の中心に置くと、長年積み重ねてきた仕事の実績を見落としてしまいます。
樹木希林の功績は、独自の演技と仕事への姿勢にある樹木さんは、主役か脇役か、喜劇かシリアスな作品かという枠にとらわれず、多様な役柄を演じてきました。テレビドラマで培った親しみやすさと、映画で見せた繊細な表現の両方が、幅広い世代から評価される理由の一つです。
また、病気について自ら公表し、仕事の依頼や人生の終わり方についても自分の考えを示してきたことは、晩年の活動を特徴づける要素です。生涯を理解するためには、病気や結婚生活の話題だけでなく、出演作、受賞歴、本人の公の発言をあわせて見ることが欠かせません。
情報を見極める際の判断基準は明確です。死去の日付や年齢、結婚・離婚の経緯は報道や人物資料で確認し、家族の心情や夫婦関係の意味については、本人や家族が実際に語った範囲と解釈を区別すること。これが、樹木希林さんの生涯を正確に理解するための出発点になります。
【樹木希林死去】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:樹木希林さんが亡くなったのはいつですか?
A1:2018年9月15日です。1943年1月15日生まれで、享年75歳でした。命日は毎年9月15日です。
Q2:樹木希林さんの死因は何ですか?
A2:日刊スポーツの葬儀に関する報道によると、関係者が「乳がんが原因の全身転移」と説明しています。2004年に乳がんが見つかり、2013年には本人が全身がんであることを公表していました。
Q3:樹木希林さんは内田裕也さんと離婚していたのですか?
A3:長年別居していましたが、1981年に内田裕也さんが提出した離婚届をめぐり、樹木さんが離婚無効の訴訟を起こして勝訴しています。別居していたことと、法的に離婚していたことは同じではありません。
樹木希林さんは2018年9月15日、75歳で亡くなりました。1943年1月15日に東京府東京市神田区で生まれ、「悠木千帆」の名で女優活動を始めた後、1977年に「樹木希林」へ改名。テレビドラマ、映画、CMなどで幅広く活躍し、日本映画界に確かな足跡を残しました。
私生活では、岸田森さんとの結婚と離婚を経て、1973年に内田裕也さんと再婚。長年の別居や離婚無効訴訟を経験しながらも、長女の内田也哉子さんをはじめとする家族との関係を築いてきました。晩年は乳がんとの闘病を続け、本人の希望により自宅で最期を迎えています。
樹木希林さんを知るうえで大切なのは、死去の事実だけでなく、長年にわたる俳優としての仕事と、人生の節目で自分の考えを示してきた姿勢にも目を向けることです。命日である9月15日は、その生涯と出演作を改めて振り返る機会となっています。