料理愛好家としてテレビや料理番組で活躍する平野レミさん。明るく自由なキャラクターで知られる彼女の夫は、イラストレーター・グラフィックデザイナー・エッセイスト・映画監督として幅広い作品を残した和田誠さんです。2人は1972年に結婚し、2019年に和田さんが亡くなるまで47年間、夫婦として歩みを共にしました。
なかでも注目されるのが、出会いからわずか10日で結婚したというエピソードです。ラジオ番組をきっかけに始まった出会い、和田さんの人柄に惹かれた理由、死別後も続くお茶の習慣、そして2026年現在の平野さんの暮らしまで、2人の関係を時系列で振り返ります。
【2026年最新】平野レミの旦那は和田誠!どんな人物だった?

平野レミさんの夫は、2019年に83歳で亡くなった和田誠さんです。和田さんは日本を代表するイラストレーターの一人であり、広告デザイン、書籍の装丁、映画監督、エッセイ執筆など、ジャンルを横断して活躍しました。
和田誠さんの公式サイトによると、1936年生まれで、1959年に多摩美術大学を卒業。広告デザイン会社のライトパブリシティに入社した後、1968年にフリーランスとして独立しました。イラストレーターという肩書きだけでは収まらない、多彩な表現活動を続けた人物です。
代表的な仕事の一つが、雑誌『週刊文春』の表紙イラストです。1977年から長年にわたって表紙を担当し、約40年間で2000号分の仕事を手がけました。映画では、1984年公開の『麻雀放浪記』で監督を務めています。新潮社の著者プロフィールにも、イラストレーター、グラフィックデザイナー、映画監督としての経歴が記載されています。
また、和田さんは200冊を超える著書を残したと公式サイトで紹介されています。絵を描くだけでなく、文章を書き、映画を撮り、音楽や文化について語るなど、幅広い分野に好奇心を持っていたことがうかがえます。
一方、平野さんは料理愛好家、タレント、シャンソン歌手として活動してきました。2人は異なる分野で仕事をしながら、家庭では互いの個性を尊重する関係を築いていました。
2026年10月現在、平野さんは79歳。和田さんが亡くなってから約7年がたちますが、夫との出会いや結婚生活については、現在もテレビ番組やインタビューで語られています。
【馴れ初め】平野レミと和田誠はラジオで出会い、10日で結婚
2人の出会いのきっかけとなったのは、平野さんが出演していたラジオ番組です。当時、平野さんはTBSラジオの「ミュージック・キャラバン」で久米宏さんのアシスタントを務めていました。和田さんは番組を聴き、平野さんに興味を持ったといいます。
2026年3月、平野さんがNHK Eテレの「最後の講義」に出演した際のエピソードを、スポニチアネックスが報じています。それによると、和田さんは麻雀仲間だった久米さんに、平野さんを紹介してほしいと頼んでいました。しかし、久米さんは当初、紹介に消極的だったそうです。
それでも和田さんは諦めず、番組のプロデューサーを通じて平野さんと会う機会をつくりました。2人は食事をしながら話し、その後、和田さんの自宅でも会話を楽しむようになります。
平野さんが後年のインタビューで振り返ったところによると、和田さんは知識が豊富で、話が面白く、自分の知識をひけらかさない人でした。魚の種類について自然に説明するなど、何気ない会話にも知性と落ち着きが表れていたといいます。
加えて、和田さんは平野さんに怪談を聞かせることもありました。平野さんは話の面白さに惹かれ、翌日も、その次の日も和田さんの家を訪ねました。こうして2人の距離は短期間で縮まっていきます。
結婚を決めたのは、離れて初めて感じた寂しさ出会いから数日後、和田さんは以前から計画していたフランク・シナトラのコンサートを観るため、アメリカへ出発しました。平野さんは、それまで感じたことのない寂しさを覚えたと、2026年のテレビ出演で語っています。
帰国後、和田さんは平野さんに「結婚しようか」とプロポーズ。平野さんは「しましょう、しましょう」と応じたといいます。スポニチアネックスの2026年3月26日付の記事でも、平野さんが当時の出来事を振り返り、出会って10日後に結婚したと語ったことが紹介されています。
ただし、これは初対面の瞬間にすべてを決めたという話ではありません。食事や自宅での会話を何度も重ね、相手の人柄に惹かれたうえで、短期間のうちに結婚を決意したという経緯があります。
平野さんが魅力を感じたのは、和田さんの知識や会話の面白さだけではありませんでした。物事に動じず、落ち着いていて、相手に対して誠実な姿勢も印象に残ったといいます。スピード婚の背景には、短い期間でも相手の人柄を感じ取れたという、2人の相性がありました。
【結婚の経緯と年表】47年間の夫婦生活を時系列で整理
2人は1972年に結婚しました。出会いから結婚までの速さが話題になりがちですが、その後の生活もまた、互いの個性を認め合う関係として知られています。和田さんの仕事と平野さんの料理への関心は、家庭生活の中で少しずつ結びついていきました。
| 時期 | 出来事 | ポイント |
|---|---|---|
| 1936年 | 和田誠さん誕生 | 後にイラストレーター、デザイナー、映画監督として活躍。 |
| 1959年 | 多摩美術大学を卒業 | ライトパブリシティに入社し、デザインの仕事を始める。 |
| 1968年 | フリーランスとして独立 | 広告、イラスト、装丁など幅広い分野で活動。 |
| 1972年 | 平野レミさんと結婚 | 出会いから10日で結婚したと平野さんが回想。 |
| 1975年 | 長男・和田唱さん誕生 | 後にロックバンドTRICERATOPSのボーカル・ギターとして活動。 |
| 1977年 | 『週刊文春』の表紙を担当 | 長年にわたる代表的な仕事の一つとなる。 |
| 1979年 | 次男・和田率さん誕生 | 後にCM制作などクリエイティブ分野で活動。 |
| 2019年10月7日 | 和田誠さん死去 | 83歳。所属事務所の発表を伝えた報道では死因は肺炎。 |
| 2026年 | 平野さんが夫との出会いを語る | NHK Eテレ「最後の講義」などで結婚の経緯を振り返る。 |
結婚を決めた後、平野さんは両親にその意思を伝えました。母親は2人の結婚を応援した一方、父親は結婚式を先に延ばす意向を示したと伝えられています。その後、母親の助言もあり、平野さんは実家を離れて和田さんとの新生活を始めました。
新婚生活の拠点となったのは、和田さんが住んでいた青山のアパートです。平野さんは結婚後、育児や家庭生活に力を注ぎ、やがて家庭料理への関心を深めていきました。
和田さんの妻として料理について取材を受けたことが、平野さんの活動の広がりにつながったと、2022年のBOOKウォッチのインタビューでも紹介されています。本人は料理研究家という肩書きについて和田さんに相談し、「愛好家」という表現を勧められたことを語っています。
こうして定着した「料理愛好家」という肩書きには、平野さんらしい考え方が表れています。専門家らしく振る舞うことよりも、料理を楽しみ、自分が好きなことを人に届ける姿勢を大切にしてきたのです。
【夫婦エピソード】料理と会話がつないだ、飾らない夫婦の絆
平野レミさんと和田誠さんの夫婦関係を語るうえで欠かせないのが、食卓の存在です。平野さんは家庭で料理を作り、和田さんはその料理をおいしそうに食べる。特別な言葉を並べるより、毎日の食事を通して気持ちを伝え合う関係でした。
2019年10月に和田さんが亡くなった際、平野さんは「私の料理を美味しい美味しいって食べてくれて本当にありがとう」とコメントを寄せました。スポニチアネックスが報じたこの言葉からも、料理を作ることと、夫がそれを喜んで食べることが、2人の暮らしの大切な一部だったことが伝わります。
互いの仕事に踏み込みすぎない距離感平野さんはインタビューで、和田さんの仕事にはあまり口を出さなかったと語っています。和田さんにとって家庭は仕事から離れてくつろげる場所であり、平野さんは食事やお茶を用意することで、その時間を支えていました。
これは単に妻が夫を支えるという一方向の関係ではありません。平野さん自身も、料理への興味を仕事へと広げ、テレビや出版の世界で独自の存在感を築いていきました。和田さんが料理を仕事にすることを後押しし、平野さんが和田さんの創作活動を尊重する。互いの専門分野を尊重しながら、それぞれの世界を持っていたのです。
2022年のBOOKウォッチのインタビューでは、平野さんが、和田さんに料理をまずいと言われたことがなかったと振り返っています。作った料理をおいしそうに食べてもらえることが、料理を続ける喜びにつながっていたそうです。
「結婚してよかった?」という問いへの返事平野さんは、和田さんが亡くなる前に「私と結婚したこと、(判断は)合ってた?」と尋ねたことがあると、女性自身のインタビューで明かしています。そのとき、和田さんは笑顔で「合ってたよ」と答えたといいます。
この短い返事には、47年間の夫婦生活が凝縮されています。結婚当初の10日間だけでなく、子育てや仕事、日々の食事を積み重ねてきた時間があったからこそ、2人の言葉には重みが生まれました。
平野さんは来世でも和田さんと結婚したいと、繰り返し語っています。ほぼ日の2025年のインタビューでも、来世も、さらにその先の人生でも和田さんと結婚したいという思いを明かしました。軽やかな語り口の中に、夫への深い愛情と尊敬が表れています。
【死因と亡き夫への思い】平野レミがお茶を供える理由
和田誠さんは2019年10月7日、83歳で亡くなりました。所属事務所の発表を伝えたテレビ朝日やスポニチアネックスなどの報道では、死因は肺炎とされています。約1年前から体調を崩して自宅で療養し、同年7月から都内の病院に入院していたことも報じられました。
一部のプロフィール記事では誤嚥性肺炎と具体的に記載されていますが、2019年10月の所属事務所の発表を伝えた主要報道では「肺炎」と公表されています。和田さんの死因を調べる際は、この公表内容と、後年のプロフィールなどに記載された詳しい表現を区別して理解する必要があります。
最後に飲めなかったお茶を、毎朝供える習慣に平野さんが夫を亡くした後も続けているのが、和田さんの写真の前にお茶を供える習慣です。その理由について、平野さんは複数のインタビューで語っています。
和田さんは肺炎を患い、最期には水も飲めない状態だったと平野さんは振り返っています。大好きだったお茶を最後に十分楽しめなかったことから、亡くなった後、自宅に帰ってきた和田さんにお茶を淹れてあげたそうです。
その後も、リビングに飾った写真の前に湯呑みを置き、毎朝お茶を淹れることが日課になりました。2021年のうおがし銘茶のインタビューでは、和田さんの写真の前に湯呑みが置かれ、朝の時間を一緒に過ごしている様子が紹介されています。
平野さんは、夫が好きだったお茶をおいしく淹れてあげたいという気持ちを大切にしています。夫の写真に話しかけ、出かけることを報告することもあるそうです。お茶を供える行為は、形式的な供養というより、夫が生きていた頃の暮らしを今も続けているような、日常に根ざした習慣なのです。
「来世も絶対に結婚する」という言葉に込められたもの平野さんは、夫を亡くした悲しみについて率直に語ってきました。2020年の女性自身のインタビューでは、和田さんがいなくなったことが昨日のことのように感じられると話し、来世でも結婚相手は和田さんがいいと明かしています。
また、来世では自分が先に亡くなり、今度は和田さんに残される寂しさを経験してほしいという、冗談を交えた言葉も残しています。そこには、深い悲しみだけでなく、夫に対する変わらない親しみも感じられます。
2025年のほぼ日のインタビューでも、平野さんは和田さんへの尊敬を語りました。出会ったときに感じた「地に足のついた人」という印象は、結婚後も変わらなかったようです。
和田さんの死後、平野さんは夫の著書を読み、仕事を通じて知らなかった一面に触れることもあったといいます。長く一緒に暮らしていても、相手のすべてを知っているわけではない。死別後も夫への理解が深まっていくという経験は、平野さんの言葉に新たな奥行きを与えています。
【子どもと義娘】和田唱・和田率、上野樹里・和田明日香との家族関係
平野レミさんと和田誠さんには、2人の息子がいます。長男はロックバンドTRICERATOPSのボーカル・ギターとして知られる和田唱さん、次男はCM制作などクリエイティブ分野で活動する和田率さんです。
長男の唱さんは1975年生まれで、2016年に女優の上野樹里さんと結婚しました。次男の率さんは1979年生まれで、料理家・食育インストラクターとして知られる和田明日香さんと結婚しています。2人の義娘はそれぞれ異なる分野で活躍しながら、平野さんと交流を続けています。
上野樹里が平野レミを支えた言葉2026年1月、NHK総合の「ファミリーヒストリー」で平野さんのルーツが紹介されました。その放送をめぐり、日刊スポーツは、和田さんの死後に平野さんを支えた上野樹里さんの言葉を報じています。
和田さんが亡くなり、平野さんが「もう1人になってしまった」と寂しさを口にした際、上野さんは長男の唱さんを指して「半分ここにいるじゃん」という趣旨の言葉を伝えたといいます。加えて、平野さんに唱さんの手を握らせ、ここにいる家族の存在を感じてもらおうとしたそうです。
唱さんは、母親が「和田さんと一緒につくったんだもんね」と気づいたことを振り返っています。夫を亡くした悲しみを消すことはできなくても、夫と築いた家族が今もそばにいる。その事実に気づかせてくれたエピソードです。
和田明日香との関係も良好次男の妻である和田明日香さんも、平野さんと良好な関係を築いています。平野さんは2025年のテレビ出演で、上野さんと明日香さんについて、互いに過度に干渉しないことが関係の秘訣だと話しました。
料理や食育という共通点を持ちながらも、それぞれが自分の仕事や生活を大切にする。家族だからといって相手に過剰な期待をかけず、一緒に集まるときは楽しく過ごすという姿勢は、平野さんらしい人付き合いの考え方にも通じます。
2026年2月には、平野さんと長男の唱さんがテレビ朝日系「徹子の部屋」で親子初共演を果たしました。唱さんは、かつてはロックミュージシャンとしてのイメージと母親のキャラクターの違いを意識し、共演を控えていたと説明しています。50歳を迎え、自分のルーツを受け入れる気持ちになったことが共演につながったと、番組関連の報道で紹介されました。
同年3月には、平野さんがNHK Eテレ「最後の講義」に出演し、和田さんとの馴れ初めを振り返っています。2026年春までの報道を見ると、平野さんは夫との思い出を語るだけでなく、子どもたちとの関係や自身の人生についても、さまざまな場面で発信を続けています。
【平野レミ旦那】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:平野レミの旦那は誰ですか?
A1:イラストレーター、グラフィックデザイナー、エッセイスト、映画監督として活躍した和田誠さんです。2人は1972年に結婚し、和田さんが2019年に亡くなるまで47年間、夫婦生活を送りました。
Q2:平野レミと和田誠は本当に出会って10日で結婚したのですか?
A2:はい。平野さん自身がテレビ番組やインタビューで、出会って10日で結婚したと振り返っています。ラジオ番組をきっかけに知り合い、食事や会話を重ね、和田さんのプロポーズに平野さんが応じました。
Q3:和田誠の死因は誤嚥性肺炎ですか?
A3:2019年10月の所属事務所の発表を伝えた主要報道では、死因は肺炎とされています。一部のプロフィール記事では誤嚥性肺炎と記載されています。和田さんは亡くなる前に入院しており、平野さんは最期には水も飲めなかったと振り返っています。
Q4:平野レミが亡き夫に毎日お茶を供えるのはなぜですか?
A4:和田さんが肺炎で水も飲めない状態になり、大好きだったお茶を十分に飲めなかったことがきっかけです。平野さんは、夫が亡くなった後も写真の前にお茶を淹れ、毎朝一緒に過ごす習慣を続けています。
Q5:平野レミに子どもは何人いますか?
A5:和田誠さんとの間に2人の息子がいます。長男はミュージシャンの和田唱さんで、妻は女優の上野樹里さん。次男は和田率さんで、妻は料理家・食育インストラクターの和田明日香さんです。
Q6:2026年現在、平野レミは再婚していますか?
A6:2026年10月現在、再婚したという公表情報はなく、和田誠さんの妻としての思い出を語りながら活動を続けています。来世でも和田さんと結婚したいという思いも、インタビューで繰り返し明かしています。
平野レミさんの旦那は、イラストレーター・エッセイスト・映画監督として幅広い仕事を残した和田誠さんです。2人はラジオ番組をきっかけに出会い、相手の知性や人柄に惹かれ合い、1972年に出会って10日で結婚しました。
和田さんは2019年10月、83歳で肺炎のため亡くなりました。しかし、平野さんの生活から夫の存在が消えたわけではありません。毎朝のお茶、夫への語りかけ、来世でも結婚したいという言葉には、47年間の結婚生活で育まれた愛情が表れています。
2人の関係を理解するうえで大切なのは、出会いから結婚までの短さだけに注目しないことです。互いの仕事を尊重し、家庭での食事を大切にし、相手に過度な期待を押しつけず、自分らしさも失わない。そうした日々の積み重ねが、長い夫婦生活を支えていました。
2026年現在も、平野さんはテレビ出演やインタビューを通じて和田さんとの思い出を語っています。夫を失った悲しみを抱えながらも、家族とのつながりを大切にし、自分の仕事を続ける姿は、2人が築いた関係の深さを伝えています。
出会って10日で始まった結婚生活は、47年にわたる日常によって豊かなものになりました。平野レミさんが今も「来世も和田さんと結婚したい」と語る背景には、華やかなエピソードだけでは語り尽くせない、暮らしの中で育った確かな愛情があるのです。