昭和の大相撲で豪快な「がぶり寄り」を武器にファンを沸かせ、引退後は親方や名解説者として長年親しまれてきた元大関・琴風豪規(尾車親方)。左膝の大怪我から奇跡的な復活を遂げて大関へ昇進した不屈の土俵人生や、親方時代に直面した脳梗塞などの大病を乗り越えた歩みは、今なお相撲ファンの間で語り草となっています。
日本相撲協会を定年および再雇用満了に伴って退職して以降、公の場で見かける機会が変化したことから、「現在の健康状態はどうなのか」「今はどのような活動を行っているのか」と気になっている方も少なくありません。本記事では、公的記録や各種報道データに基づき、元大関・琴風のこれまでの軌跡から現在の姿、家族との歩みまでを詳しく紐解いていきます。
【軌跡と復活】大怪我からの大関昇進と「がぶり寄り」の真髄

元大関・琴風(本名:中山浩一)の土俵人生を語る上で欠かせないのが、絶望的な重傷からの不屈の復活劇です。佐渡ヶ嶽部屋入門後、順調に関取へと駆け上がった琴風でしたが、幕内上位で活躍していた1979年に左膝内外側側副靭帯および前十字靭帯断裂という力士生命を脅かす大怪我に見舞われました。
当時の医学水準では力士としての復帰は極めて困難と目され、番付も幕下51枚目まで転落。それでも過酷なリハビリと鍛錬を重ねて土俵へ戻り、再び関取、そして幕内へと這い上がりました。怪我を抱えた膝に負担をかけないよう磨き上げられたのが、相手の懐に飛び込んで腰をぶつけるように寄り進む必殺技「がぶり寄り」でした。
1981年には幕内最高優勝を果たして大関昇進を達成。怪我による幕下転落から大関まで登り詰めたドラマは、大相撲史における金字塔として今も多くの人々に勇気を与えています。現役通算で2度の幕内優勝を記録し、昭和後期の土俵を力強く彩りました。
【激動の年表】琴風豪規から尾車親方へ至る主な歩み
現役引退後は年寄「尾車」を襲名し、師匠として部屋を創設。さらには相撲協会の要職を務めるなど、土俵の外でも大相撲の発展に尽力しました。現役時代から協会の退職に至るまでの主な経歴を以下の表に整理しました。
| 年次・時期 | 主な出来事・役職 | 特記事項・実績 |
|---|---|---|
| 1971年〜1985年 | 現役力士(四股名:琴風) | 幕内優勝2回、大関昇進。左膝大怪我からの奇跡の復活劇を果たす。 |
| 1987年 | 尾車部屋を創設(師匠) | 佐渡ヶ嶽部屋から独立。豪風や嘉風など実力派関取を多数育成。 |
| 2012年 | 頸髄損傷・脳梗塞を発症 | 宿舎での転倒事故や脳梗塞の併発を乗り越え、驚異的なリハビリで公務復帰。 |
| 2010年代 | 日本相撲協会理事・事業部長など | 巡業部長や事業部長など要職を歴任し、相撲人気の回復と組織運営に貢献。 |
| 2022年 | 尾車部屋閉鎖・日本相撲協会を定年退職 | 65歳の定年を迎え部屋を閉鎖。参与として再雇用期間に入る。 |
| 2024年以降 | 再雇用満了により相撲協会を退職 | 協会の職務を完全に離れ、名解説者・相撲文化の語り手としての立場へ。 |
【病気克服の真実】頸髄損傷と脳梗塞から生還した奇跡のリハビリ
親方としての歩みの中で、再び命と健康を揺るがす大きな試練となったのが2012年の事故と発病でした。地方巡業中の宿舎で転倒し、頸髄損傷の重傷を負って首から下の自由を奪われる事態に直面します。
さらに治療の過程で脳梗塞を併発。言語障害や全身の麻痺という絶望的な状況に追い込まれましたが、現役時代に培った強靭な精神力と、献身的な医療スタッフ、そして家族の支えを受け、懸命なリハビリテーションを開始しました。
歩行訓練や発声練習を地道に続け、杖を使って自力で歩行できるまでに回復。後遺症と向き合いながらも日本相撲協会の理事職やNHK大相撲中継の解説席へと復帰を果たした姿は、多くの関係者やファンに深い感銘を与えました。
【解説者としての名声】温かい眼差しと論理的な相撲解説
尾車親方としての長年の活動において、一般の相撲ファンから絶大な支持を集めたのがNHK大相撲中継などでの相撲解説です。力士の心情に寄り添った温厚な語り口でありながら、技術的な攻防を的確に解き明かす解説スタイルは唯一無二のものでした。
自らが大怪我や病気を経験したからこそ、土俵で苦しむ若手力士や怪我に泣く関取にかける言葉には重みがあり、単なる技術論にとどまらない人間味あふれるコメントが好評を博しました。時には勝負の厳しさを冷静に指摘しつつ、努力の過程を称える解説姿勢は、相撲ファンのみならずライト層の視聴者からも親しまれました。
【支え続けた家族】妻との絆と公私を分けた温かな家庭
現役時代の大関昇進、幕下からの復活、親方としての部屋運営、そして生死をさまよう大病――そのすべての局面において最大の支えとなったのが夫人をはじめとする家族の存在です。
部屋持ち親方として多くの弟子を抱えていた時代、部屋の女将さんとして若い力士たちの生活環境を整え、精神的な支柱となった妻の献身は相撲界でも広く知られています。頸髄損傷と脳梗塞で倒れた際も、長期にわたる入院生活とリハビリを間近で支え続けました。
親方はメディア出演の際にも家族への深い感謝を語ることがありましたが、私生活全般においては過度に誇示することなく、公私を明確に分けて家族のプライバシーを守る誠実な姿勢を一貫して貫いています。
【現在の姿】定年・再雇用満了後の生活と健康状態
日本相撲協会では規定により65歳で停年(定年)を迎え、その後は参与として70歳まで再雇用される制度があります。尾車親方は65歳の定年を迎えた際に自らの尾車部屋を閉鎖し、弟子や部屋付き親方を旧知の部屋へと移籍させました。
参与としての任期を満了して以降は、長年にわたる相撲協会の公式職務から退き、プレッシャーから解放された穏やかなセカンドライフを送っています。現在の健康状態についても、過去の大病による無理は避けつつ、日常生活をしっかりと送りながら体調の維持管理に努めていることが伝えられています。
公務から離れた後も、新聞やメディアのインタビュー、相撲関連の回顧企画などを通じて時折その見解が紹介されることがあり、昭和・平成・令和の大相撲を見つめ続けてきた重鎮として、相撲界の良き理解者であり続けています。
【琴風現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:元大関・琴風(尾車親方)は現在、日本相撲協会に所属していますか?
A1:定年(65歳)およびその後の参与としての再雇用期間を満了したため、現在は日本相撲協会の職務を正式に退任しています。
Q2:かつて倒れた脳梗塞や頸髄損傷の後遺症は現在どうなっていますか?
A2:過酷なリハビリを経て日常生活や公務への復帰を果たしました。激しい運動は控えているものの、体調を最優先にコントロールしながら健康を維持しています。
Q3:尾車部屋の弟子たちは現在どうなっていますか?
A3:部屋の閉鎖に伴い、所属していた弟子や関係者は押尾川部屋や二所ノ関部屋などへ円満に移籍し、現在もそれぞれの土俵で活動を続けています。
元大関・琴風こと尾車親方の足跡は、度重なる困難を強靭な意志と家族の絆で乗り越えてきた「不屈の歴史」そのものです。靭帯断裂からの大関昇進、脳梗塞からの社会復帰と解説席への返り咲きなど、その生き様は多くの人々に勇気を与え続けてきました。
定年と再雇用満了を経て相撲協会の重責から解放された現在は、健康を第一に考えながら、長年相撲道に捧げてきた人生を静かに振り返る充実した日々を過ごしています。昭和の名大関が遺した功績と温かな語り口は、これからも大相撲の歴史の中で色あせることなく輝き続けます。