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セコムと長嶋茂雄の関係は?歴代CMと35年の歩み、訃報後の広告継続を徹底解説

杉本 彩 杉本 彩 • 更新: • 公開: • 読了約 18 分
目次

「セコム、してますか?」という印象的なフレーズとともに、多くの人の記憶に残る長嶋茂雄さんのセコムCM。2025年6月3日に長嶋さんが89歳で逝去された後も、セコムは長年の功績に感謝を示し、本人の広告を引き続き使用する方針を公式発表しました。では、長嶋さんとセコムの関係はいつ始まり、なぜ35年間もの長期契約へと発展したのでしょうか。

セコム株式会社の公式メモリアルサイト「長嶋茂雄さんとセコムの歩み」や報道資料をたどると、最初のCM出演は1971年、ブランドアンバサダーへの就任は1990年、そして名フレーズの誕生は1991年という経緯が見えてきます。2025年の大谷翔平さんとの「夢の対決」編や東京ドームの看板広告も含め、2026年10月時点で確認できる公式情報から、両者の関係の真相を整理します。

【関係の真相】セコムと長嶋茂雄の出会いは1971年、35年の契約は1990年から

セコム長嶋茂雄

セコムと長嶋茂雄さんの関係を正しく理解するには、最初のCM出演と、長期にわたるブランドアンバサダーとしての活動を分けて考える必要があります。

セコムの公式メモリアルサイトによると、長嶋さんが初めてCMに出演したのは1971年。当時の社名は日本警備保障株式会社でした。セコム社内で注目されたのは、長嶋さんが三塁手として見せる「鉄壁の守備」です。飛んでくる打球を確実に受け止める姿が、警備会社の目指す「守り」のイメージに重なり、CM出演を依頼するきっかけになりました。

1971年から1972年にかけて、現役選手だった長嶋さんは同社のイメージキャラクターとしてテレビCMに出演しました。セコムの公式沿革では、この初期CMが創業から間もない同社の認知度を高めたと説明されています。

その後、長嶋さんは1990年にセコムのブランドアンバサダーに就任します。ここから2025年まで続いたのが、一般に「35年間の関係」と呼ばれる長期の広告活動です。

つまり、「長嶋茂雄さんがセコムに初出演したのは1971年」という情報と、「1990年から35年間アンバサダーを務めた」という情報は矛盾しません。1971年は最初の接点、1990年は長期的なブランド活動の始まりです。2025年の訃報時にセコムが公表した報道資料でも、1990年から35年間にわたりイメージキャラクターを務めたと説明されています。

両者を結び付けたのは、単に知名度の高い野球選手を広告に起用するという発想だけではありませんでした。守備の堅実さを警備の信頼性に置き換えるという、商品・サービスと人物の特性が一致した起用だったのです。

【歴代CM年表】1971年から2026年までの主な出来事を整理

セコム公式のメモリアルサイトには、初出演から「夢の対決」編まで、長嶋さんとセコムの歩みが時系列で掲載されています。代表的なCM、ブランドの節目、訃報後の対応を

時期 主な出来事・CM 意味・確認できる事実
1971年 「鉄壁の守り」編 長嶋さんがセコムのCMに初出演。守備と警備の「守り」を重ねた。
1971~1972年 初期のCM出演 現役時代の長嶋さんがイメージキャラクターを務めた。
1990年 「守り」編 ブランドアンバサダーに就任。長期にわたる広告活動が始まる。
1991年 「笑顔編」「連鎖反応」編 「セコム、してますか?」のフレーズがCMに登場。
1992年 「社会の荒波」編など 波の上を走る印象的な演出で、長嶋さんの存在感を打ち出した。
1994年 東京ドームの看板広告 ビッグボードへの長嶋さんの広告掲出が始まる。
1997年 「タップ」編、「リャマ」編 野球のイメージに限らない、ユーモアのあるCM表現が登場。
2013年 「長嶋茂雄さんとセコム」編 過去の代表的なCM映像を振り返り、長嶋さんの新撮映像も使用。
2025年3月 「夢の対決」編 大谷翔平さんと現役時代の長嶋さんがCG映像で共演。
2025年6月 訃報後の広告継続・追悼掲出 セコムが広告の継続使用を発表。東京ドームでは歴代広告15種類を特別掲出。
2026年10月時点 公式メモリアルサイト・CMライブラリー 長嶋さんの歩みや歴代CM、「夢の対決」編などを公式サイトで確認できる。

この年表から分かるのは、長嶋さんの広告活動が、特定のCM一本の成功で終わらなかったことです。1990年代には家庭向けセキュリティの普及とともに広告表現を広げ、2000年代以降も過去の映像や新しい企画を通して、長嶋さんのイメージをブランドの歴史に組み込んできました。

なお、CMの本数については資料の数え方に違いがあります。2025年6月3日の訃報に関するセコムの報道資料では「30本」と紹介され、現在のメモリアルサイトでは派生作品を含め「30本以上」と説明されています。派生編を含めるかどうかによる違いとして読むのが適切です。

【誕生の理由】「セコム、してますか?」はいつから使われた?

「セコム、してますか?」というフレーズが初めて登場したのは、1991年のCMです。セコム公式メモリアルサイトは「笑顔編」「連鎖反応」編で誕生したと紹介しており、2013年の公式資料でも、長嶋さんのCM出演とともに広く知られるようになった経緯が説明されています。

ただし、公式資料が明らかにしているのは、フレーズが登場した時期とCMの位置付けです。コピーの考案者や、企画会議でどのようなやり取りがあったのかといった詳細までは、公開された沿革からは確認できません。

広告表現として注目すべきなのは、この言葉が会社名を繰り返すだけの宣伝文句ではなく、視聴者に直接問いかける形を取っていることです。「セキュリティシステムを導入していますか」と説明する代わりに、短い会話のような表現で、安全への備えを身近な話題に変えています。

加えて、「セコムする」という言い回しが「警備する」「安全・安心を確保する」といった意味で社会に浸透するきっかけにもなりました。長嶋さんの顔と声、企業名、生活者への問いかけが一体になったことで、広告のメッセージがサービス名を超えて記憶されるようになったのです。

歴代CMにも、この考え方が表れています。1992年の「社会の荒波」編では、長嶋さんが波の上を走る大胆な演出を採用。セコムの公式解説によると、撮影では長嶋さんをピアノ線で吊り上げ、前方から扇風機で風を当てる工夫が用いられました。

1994年の「日の用心」シリーズでは「泥棒」「火事」「ケガ」をテーマにした作品を制作。1997年の「リャマ」編では南米原産の動物と共演するなど、野球選手としての長嶋さんだけでなく、親しみやすさやユーモアも広告の魅力として生かされました。

こうした作品群は、長嶋さんが単に知名度を貸すタレントではなく、セコムの広告表現そのものを支える存在だったことを示しています。

【東京ドームの看板】長嶋茂雄とセコムの広告が野球ファンに愛された理由

セコムと長嶋さんの関係を象徴するものとして、テレビCMと並んで知られるのが東京ドームの看板広告です。セコムの公式メモリアルサイトによると、長嶋さんを起用したビッグボード広告は1994年から掲出されてきました。

長嶋さんの姿が野球場にあることには、広告媒体としての意味だけでなく、野球界とのつながりを自然に感じさせる効果がありました。球場を訪れるファンにとって、テレビで親しんだ長嶋さんの笑顔をスタンド側の大きな看板で見ることは、セコムのブランドイメージと野球観戦の記憶が重なる体験でもあったはずです。

この看板には、野球ならではのエピソードもあります。セコム公式サイトによると、ビッグボードにホームランを当てた選手には賞金100万円が贈られる仕組みがあり、これまでに11人の選手が計14本のホームランを当てています。看板広告が単なる企業ロゴではなく、野球ファンが注目する存在になった背景の一つです。

2025年6月、長嶋さんの逝去を受け、セコムは東京ドームのメインビジョンに歴代広告デザイン15種類を特別掲出すると発表しました。掲出期間は6月17日から29日まで。1994年から2025年までに使用した20種類を超えるデザインの中から選ばれ、広告には「SECOM BIG BOARD HISTORY」の題字と「ミスター、感動をありがとう」のメッセージが添えられました。

この特別掲出は、長年の出演に対する感謝と追悼を形にしたものでした。2026年現在も、セコムの公式メモリアルサイトでは1994年からの看板広告の変遷が紹介されています。ただし、2025年6月の特別掲出が行われたことと、同じ内容が2026年にも常時掲出されていることは別の話です。現在の掲出状況については、時期ごとの公式発表を区別して見る必要があります。

【2025年の訃報と広告継続】長嶋茂雄のCMはなぜ今も見られるのか

2025年6月3日、長嶋茂雄さんが89歳で逝去されました。東京都の訃報発表やセコム株式会社の同日付報道資料でも、逝去が公表されています。

セコムは同日、長嶋さんが1990年から35年間にわたりブランドアンバサダーを務めたことへの感謝と哀悼の意を表明しました。そのうえで、長嶋さんの家族と所属事務所の了承を得て、広告を引き続き使用すると発表しています。

広告継続の根拠は、この公式発表にあります。亡くなった著名人の映像や写真を使う場合、企業の判断だけでなく、権利関係や関係者の意向が重要です。今回のケースでは、セコムが家族と所属事務所の了承を得たことを明示しており、広告の継続使用について公表された経緯を確認できます。

ただし、「広告を引き続き使用する」という発表は、過去のCMが2026年のすべての期間にわたってテレビで放映されていることを意味するものではありません。公式サイトに映像が掲載されていること、広告素材を継続使用する方針であること、特定のテレビCMが現在放映中であることは、それぞれ区別して理解する必要があります。

2026年10月時点では、セコムの公式メモリアルサイトやCMライブラリーで長嶋さんの歴代CMと歩みを確認できます。訃報後も公式サイトで記録が公開されていることは、長嶋さんの広告活動がセコムのブランド史に残る重要な実績として扱われていることを示しています。

また、セコムが広告を継続使用すると発表したことは、長嶋さんの姿を企業の歴史的な広告資産として残す判断でもあります。35年間に積み重ねられた認知や信頼は、一度のキャンペーンで作られたものではありません。過去の広告を振り返ること自体が、企業と人物の長い関係を伝える手段になっています。

【大谷翔平との夢の対決】2025年のCMは何が特別だった?

長嶋さんとセコムの関係を語るうえで欠かせないのが、2025年3月に公開された「夢の対決」編です。セコムは同年3月11日、大谷翔平さんのアンバサダー就任と新CMの公開を発表し、3月15日からテレビ放映を開始しました。長嶋さんが逝去される約3か月前の企画です。

このCMでは、投手としてマウンドに立つ大谷さんと、CGで再現された現役時代の長嶋さんが打席で対峙します。セコムの公式説明によると、長嶋さんのCGは過去の資料をもとに、本人の意見も取り入れながら当時の姿を再現したものです。二人はCMの締めくくりとなる「セコム、してますか?」でも声の共演を果たしました。

この企画が象徴的なのは、セコムの新しい顔となる大谷さんと、35年間にわたりブランドを支えた長嶋さんを同じ映像に登場させた点です。現役時代の長嶋さんと現代のスター選手を対決させる構成によって、野球界の世代を超えたつながりと、企業ブランドの継承を一つのストーリーにまとめています。

また、CMの公開は長嶋さんの逝去前でした。この点は重要です。訃報後に過去の映像を組み合わせて新たに作られた作品ではなく、本人が存命中に準備され、公開された企画でした。その後、長嶋さんが亡くなったことで、映像は35年間の活動を振り返る意味も持つようになりました。

2026年のセコム公式CMライブラリーでは、この「夢の対決」編を含む広告コンテンツが紹介されています。長嶋さんの歴代CMと大谷さんの新しいブランド活動が並ぶ構成は、長年のブランド資産を残しながら、新たな世代へメッセージをつなぐ広告戦略として読み取れます。

【プロの結論】セコムと長嶋茂雄の関係から分かる広告の強さ

セコムと長嶋さんの関係は、単に「有名人が同じ会社のCMに長く出演した」という話にとどまりません。1971年の初出演では、長嶋さんの堅実な守備と警備の仕事を結び付け、1990年以降はブランドアンバサダーとして長期的にイメージを育てました。そして1991年に誕生した「セコム、してますか?」は、企業名を生活者の日常語に近づける役割を果たしました。

この歩みから分かる広告戦略上の要点は三つあります。

第一に、人物の魅力とサービスの価値が一致していたこと。長嶋さんの「守り」のイメージは、警備会社が提供する安全・安心の価値と直結していました。人物の知名度だけでなく、ブランドが伝えたい内容との相性が長期起用を支えたと考えられます。

第二に、繰り返し目にする接点を長期間維持したこと。テレビCMだけでなく、東京ドームの看板、ウェブサイトの連載、歴代広告の再紹介など、複数の場面で長嶋さんとセコムの関係が伝えられてきました。広告が単発で終わらず、長い時間をかけてブランドの記憶を形成した点が特徴です。

第三に、過去の広告を現在のメッセージにつなげたこと。2025年の「夢の対決」編では、長嶋さんの過去の姿をCGで再現し、大谷さんと共演させました。加えて、訃報後には家族と所属事務所の了承を得たうえで広告を継続使用する方針が公表されました。過去の実績を残すことと、新しいブランド活動を進めることを両立させた事例です。

一方で、2026年に長嶋さんの広告がどの媒体で、どの期間に放映・掲出されているかを知りたい場合は、公式のCMライブラリーや個別の報道資料を確認するのが確実です。過去のCMがウェブサイトに掲載されていることだけで、現在のテレビ放映状況まで断定することはできません。

長嶋さんとセコムの関係の真相は、1971年に始まった広告上の接点が、1990年からの35年間にわたるブランド活動へと発展したことにあります。「セコム、してますか?」という言葉や東京ドームの看板は、その積み重ねを象徴する存在です。

【セコム長嶋茂雄】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:長嶋茂雄さんがセコムのCMに初出演したのはいつですか?
A1:セコムの公式メモリアルサイトによると、初出演は1971年の「鉄壁の守り」編です。現役時代の長嶋さんの守備と、警備会社の「守り」を重ねたCMでした。1990年からの35年間とは、ブランドアンバサダーとしての長期活動を指します。

Q2:「セコム、してますか?」はいつ誕生したのですか?
A2:1991年のCM「笑顔編」「連鎖反応」編で登場しました。長嶋さんが視聴者に語りかけるフレーズとして広まり、「セコムする」という表現が安全・安心を連想させる言葉として浸透するきっかけになりました。

Q3:長嶋茂雄さんの訃報後もセコムの広告は使われていますか?
A3:セコムは2025年6月3日、長嶋さんの家族と所属事務所の了承を得て、広告を引き続き使用すると発表しました。2026年10月時点でも公式メモリアルサイトやCMライブラリーで長嶋さんの広告や歴代CMを確認できます。ただし、個々のCMが現在テレビ放映中かどうかは、公式の掲載情報と区別して判断する必要があります。

セコムと長嶋茂雄さんの関係は、1971年の初出演から始まり、1990年のブランドアンバサダー就任を経て、2025年まで続きました。「セコム、してますか?」が誕生したのは1991年。東京ドームの看板広告や歴代CMも、長嶋さんとセコムの長い歩みを象徴する存在です。

2025年6月の訃報後、セコムは家族と所属事務所の了承を得て広告を引き続き使用すると発表しました。同年3月に公開された大谷翔平さんとの「夢の対決」編も、長嶋さんの現役時代をCGで再現した特別な作品として、二人の共演を記録しています。

2026年に最新情報を確認する際は、1971年の初出演、1990年からの35年間、1991年のフレーズ誕生、2025年の広告継続発表という四つの節目を押さえることが大切です。長嶋さんの広告が長く記憶されている理由は、スターの知名度だけではなく、企業が伝えたい「守り」と本人のイメージが一致し、長い時間をかけて信頼の物語を築いてきたことにあります。

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コンテンツディレクター 杉本 彩
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映画と連続ドラマを9年取材。公開日・放送日は公式サイトで確認し、あらすじは結末を伏せた範囲で構成しています。

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