ホーム 芸能ニュース・ゴシップ 坂東三津五郎の歴代と家系図を徹底解剖!大和屋と坂東流を継ぐ名跡の全貌

坂東三津五郎の歴代と家系図を徹底解剖!大和屋と坂東流を継ぐ名跡の全貌

如月 拓 如月 拓 • 更新: • 公開: • 読了約 9 分
目次

歌舞伎界屈指の名門として江戸期より燦然と輝く屋号「大和屋」。その屋号を背負い、歌舞伎の舞台のみならず日本舞踊坂東流の家元名跡として大きな影響力を持ってきたのが「坂東三津五郎」です。江戸歌舞伎の粋と端正な芸風を守り続け、幾多の名優たちによって磨き上げられてきたこの大名跡は、日本伝統芸能の至宝とも言える重みを湛えています。

2015年に十代目坂東三津五郎が59歳で急逝してから歳月が流れた現在も、彼が遺した卓越した至芸や日本舞踊への献身は色あせることなく語り継がれています。本稿では、名門・大和屋の家系図と歴代三津五郎の足跡、家紋の変遷、さらには「踊りの神さま」と称された名優の功績から現代への継承の行方までを徹底解剖します。

【名門・大和屋の原点】坂東三津五郎という名跡の由来と歌舞伎における経緯

坂東三津五郎

歌舞伎の舞台において「大和屋!」という威勢の良い大向こうの声がかかる名跡、坂東三津五郎。その歴史は江戸時代中期の享保年間にまで遡ります。初代坂東三津五郎(1745–1782)は立役として頭角を現し、理知的で品格のある芸風を確立して江戸歌舞伎を牽引しました。

大和屋の芸の真骨頂は、江戸前の「粋(いき)」と「洒脱」、そして緻密な身体表現にあります。単に台詞を朗々と語るだけでなく、所作や立ち振る舞いの端々に洗練された美を宿らせる技術は、代々の三津五郎によって継承されてきました。荒事の豪快さとは対照的に、世話物や時代物における人間味あふれる端正な芝居を得意とし、江戸歌舞伎の品格を現代に伝える重要な柱となっています。

【舞踊界の最高峰】日本舞踊坂東流の家元名跡と「踊りの神さま」の系譜

坂東三津五郎という存在を語る上で欠かせないのが、日本舞踊の五大流派の一つに数えられる「坂東流」の存在です。三代目坂東三津五郎(1775–1831)は稀代の名人として知られ、歌舞伎の振付や所作事(舞踊劇)を発展させて坂東流を創流しました。これ以降、坂東三津五郎の名跡は「坂東流家元」の名跡としても受け継がれることになります。

その舞踊の技が頂点を極めたのが、七代目坂東三津五郎(1882–1961)の時代です。四代目三津五郎の養子である十二代目守田勘彌の長男として生まれた七代目は、天性の身体感覚と徹底した修練によって「踊りの神さま」と崇められました。彼が魅せる舞は一切の無駄がなく、流れるような美しさと厳格な規律を併せ持ち、歌舞伎界のみならず舞踊界全体に決定的な規範を示しました。この「踊りの神さま」の血脈と芸の真髄こそが、大和屋が今なお「舞踊の名門」として敬われる所以です。

【家系図と歴代の足跡】守田勘彌家との繋がりと名優たちの軌跡

大和屋の家系は、歌舞伎座の前身である新富座を開いた劇界の名門「守田勘彌家」と極めて深い血縁・養子縁組の関係にあります。七代目三津五郎は十二代目守田勘彌の実子であり、九代目三津五郎(十四代目守田勘彌の養子、実父は三代目坂東秀調)もまたその重厚な歴史を繋いできました。

歴代の三津五郎が築いた歴史と主要な業績を整理したのが以下の年表・対照表です。

代数 生没年 主な実績・特徴 舞踊・歌舞伎界における功績
初代 1745–1782 名跡の開祖。立役として活躍 端正で知的な芸風を確立し、江戸の観客を魅了
三代目 1775–1831 江戸後期の屈指の名人。坂東流を創流 『変化物』を数多く生み出し、舞踊の家元名跡となる礎を築く
七代目 1882–1961 十二代目守田勘彌の長男 「踊りの神さま」と称賛され、坂東流の舞踊を芸術的極致へ昇華
八代目 1906–1975 七代目の長男。人間国宝に認定 古格ある芸風と確かな舞踊技術を兼ね備えた重鎮
九代目 1929–1999 十四代目守田勘彌の養子 坂東流の普及に尽力し、大和屋の宗家を守り抜く
十代目 1956–2015 九代目の長男。本名:守田寿 『武士の一分』や大河ドラマなど映像でも活躍。名舞台を数多く残す

歴代の軌跡を俯瞰すると、坂東三津五郎という名跡が単なる世襲にとどまらず、歌舞伎と日本舞踊の二刀流という極めて過酷かつ高潔な使命を背負い続けてきたことが浮き彫りになります。

【定紋・替紋の美意識】三ツ大・花勝見・梶の葉に秘められた意匠

歌舞伎役者のアイデンティティを象徴する家紋においても、坂東三津五郎家には独自の美学が息づいています。大和屋の定紋は「三ツ大(みつだい)」であり、三つの「大」の文字を丸く組み合わせた明快で力強い意匠が特徴です。

一方で、私的な祝儀や洒脱な場面で使われる替紋には「花勝見(はなかつみ)」が定められています。花勝見はアヤメ科の植物に由来する風情ある紋様であり、江戸歌舞伎の情緒を物語っています。さらに興味深いのは歴代の個人的な紋の愛用です。八代目は「角切角に梶の葉(すみきりかくにかじのは)」を好み、九代目は「梶の葉(かじのは)」を替紋として舞台衣装や私物で頻繁に使用しました。七夕の神事に由来する梶の葉は、文芸や芸道の向上を祈る象徴でもあり、歴代が芸道精進にかける並々ならぬ祈念がこれらの家紋にも反映されています。

【十代目坂東三津五郎の輝き】名バイプレーヤーから大看板へ

現代の一般の観客や視聴者にとって最も記憶に新しいのが、2015年に惜しまれつつこの世を去った十代目坂東三津五郎(1956–2015)の姿でしょう。五代目坂東八十助として長年親しまれ、2001年に十代目坂東三津五郎を襲名しました。

十代目は、確かな古典歌舞伎の技術と舞踊の腕前を土台としながらも、現代のメディアにも柔軟に適応した名優でした。山田洋次監督の映画『武士の一分』で見せた凄みのある敵役の演技や、NHK大河ドラマ『功名が辻』をはじめとする数々のテレビドラマ、さらには教養番組の司会や城郭巡りの趣味を活かした著述活動など、幅広いフィールドでその知性と人間味を発揮しました。本業の歌舞伎においても、同世代の中村勘三郎(十八代目)と共に平成の歌舞伎ブームを力強く牽引し、伝統を現代に息づかせる立役者となりました。

【現在と継承の未来】二代目坂東巳之助が担う大和屋の次世代

十代目三津五郎の急逝という大きな悲運に見舞われながらも、大和屋の魂は脈々と受け継がれています。その中心に立つのが、十代目の長男である二代目坂東巳之助です。

巳之助は古典歌舞伎の研鑽を愚直に積み重ねる一方で、『新作歌舞伎 NARUTO -ナルト-』のうずまきナルト役や『スーパー歌舞伎II ワンピース』のロロノア・ゾロ役など、現代の革新的な舞台でも圧倒的な身体能力と演技力を披露してきました。古典の精神を厳格に守りつつ、時代の感性を取り入れて大衆を惹きつける姿勢は、かつて三代目や十代目が貫いた大和屋の気骨そのものです。日本舞踊坂東流の継承者としても若手の育成と舞台公演に力を注いでおり、将来の「十一代目坂東三津五郎」への期待と関心が集まり続けています。

【坂東三津五郎】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:坂東三津五郎の現在の当主・後継者は誰ですか?
A1:十代目坂東三津五郎の逝去後、名跡「坂東三津五郎」は空名跡となっていますが、十代目の長男である二代目坂東巳之助が大和屋の宗家を継ぎ、歌舞伎および坂東流の舞台で中心となって活躍しています。

Q2:なぜ坂東三津五郎は「踊りの神さま」と呼ばれるのですか?
A2:七代目坂東三津五郎が卓越した舞踊技術と完璧な身体所作を極め、歌舞伎舞踊および日本舞踊坂東流の型を最高峰に押し上げたことから、劇界・舞踊界において「踊りの神さま」と称賛されました。

Q3:大和屋の家紋である「三ツ大」と「梶の葉」の違いは何ですか?
A3:大和屋の公式な定紋は「大」の文字を三つ配した「三ツ大」です。一方、「梶の葉」や「花勝見」は替紋(略紋)として用いられ、特に八代目は角切角に梶の葉、九代目は梶の葉を好んで衣装や小道具に愛用しました。

坂東三津五郎という名跡は、歌舞伎の立役としての重責と、日本舞踊坂東流家元としての至高の美を一身に背負い続けてきた特別な存在です。初代が蒔いた江戸歌舞伎の種は、三代目の創流を経て、七代目の「踊りの神さま」という奇跡の到達点を生み出し、八代目、九代目、十代目へと誠実に受け継がれてきました。

急逝した十代目の志を胸に刻み、二代目坂東巳之助をはじめとする次世代の役者たちが古典の深淵と新たなエンターテインメントの地平を切り拓いています。江戸の粋と洗練された身体技法を伝える大和屋の芸道は、これからも時代を超えて観客の心を打ち続けることでしょう。

同じカテゴリの記事

如月 拓

家計・住まい・制度の話題を担当。公的機関の公表資料と専門家の見解を照合し、推測と事実を分けて書きます。

おすすめの関連記事