2026年1月、ニュースキャスターやラジオパーソナリティーとして活躍した久米宏さんの訃報が公表されました。久米さんは2020年6月27日まで、TBSラジオの長寿番組「久米宏 ラジオなんですけど」を担当。約14年にわたって、時事問題への独自の視点や、予定調和にとらわれない語り口を届けてきました。
では、なぜ番組は終了したのでしょうか。終了理由については、本人が2020年6月の放送で、加齢に伴う集中力や根気の衰えなどを率直に説明しています。加えて、2026年には久米さんの死去を受けた追悼特番も制作され、番組の記憶が改めて注目されています。開始から最終回までの経緯、初代アシスタントの小島慶子さんと堀井美香さんとの共演、ポッドキャストや過去音源の現状まで整理します。
【終了理由の真相】久米宏本人が語った番組終了の決断

「久米宏 ラジオなんですけど」の終了が公表されたのは、2020年6月6日の放送でした。久米さんは番組の冒頭で、同月いっぱいで終了することをリスナーに報告。2006年秋に始まった番組が、約14年の歴史に幕を下ろすことになりました。
終了の理由について、久米さんは「理由は複数ある」という趣旨の説明をしています。マイナビニュース、ORICON NEWS、日刊スポーツなどの報道によると、本人が挙げた理由の一つは、自分でも気になるほど言い間違いが増えたことでした。年齢を重ねるなかで、集中力や根気が明らかに衰えてきたと感じていたのです。
長年にわたって生放送で言葉を操ってきた久米さんにとって、話した内容を後から聴き直し、自分の意図と実際の発言との食い違いに気づくことは、仕事の質に直結する問題でした。単に年齢を理由に引退するというより、本人が納得できる水準の放送を続けられるかどうかを考えた決断だったと読み取れます。
もう一つの理由は、久米さんが以前から語っていた番組の終え方に関する持論です。本人は、番組は「下り坂になってから辞めるのが一番よくない」という考えを示していました。良い印象が残っている段階で終えることが、リスナーにも制作スタッフにも望ましいという判断です。
終了は2020年1月上旬、TBSラジオと久米さんの所属事務所との打ち合わせで決まっていたと本人が説明しています。ただし、リスナーへの発表が6月になった背景には、新型コロナウイルスをめぐる社会的な混乱もありました。久米さんは、もっと早く伝えるつもりだったものの、発表のタイミングを逃してしまったと話しています。
一方、スポンサーの問題や出演料などを終了の決定的な理由とする見方もありましたが、これらを主要因と断定できる本人の説明や公式発表は確認できません。少なくとも、本人が公に説明した中心的な理由は、仕事への自己評価、年齢による変化、そして番組を良い状態で終えたいという考えでした。
【放送期間と歴史】2006年の開始から2020年の最終回まで
番組は2006年10月7日にスタートしました。毎週土曜日の午後に放送され、久米さんの冒頭の一人語りや、ゲストを迎えるコーナーなどを通じて、ニュース、社会問題、文化、日常の出来事を幅広く扱いました。
TBSラジオの公式情報や当時の報道をもとに、主な出来事を時系列で整理すると次のとおりです。
| 時期 | 出来事 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 2006年10月7日 | 番組スタート | 久米宏さんと小島慶子さんのコンビで放送開始。 |
| 2007年 | ギャラクシー賞を受賞 | 久米さんがDJパーソナリティー賞を受賞。 |
| 2009年4月 | アシスタント交代 | 小島慶子さんに代わり、堀井美香さんが担当。 |
| 2020年1月上旬 | 終了が決定 | 本人の説明によると、TBSラジオと所属事務所との打ち合わせで決まった。 |
| 2020年6月6日 | 終了を発表 | 久米さんが生放送で同月末の終了を報告。 |
| 2020年6月27日 | 最終回 | 伊集院光さんがゲスト出演。約13年9か月の放送に幕。 |
| 2026年1月1日 | 久米さんが死去 | 所属事務所は、肺がんのため81歳で亡くなったと発表。 |
| 2026年2月7日 | 追悼特番を放送 | 残された音源を活用した特別番組が放送された。 |
番組の放送期間は、開始日の2006年10月7日から最終日の2020年6月27日までです。報道では「13年9か月」や「約14年」と表現されています。
この番組の特徴は、ニュースを単に紹介するだけでなく、久米さん自身の見解や疑問を交えながら、話題を掘り下げた点にありました。テレビの報道番組で培った進行力を生かしつつ、ラジオならではの自由度を保ったことが、長期にわたる番組の個性につながりました。
【最終回の内容】ゲスト伊集院光と久米宏が語ったラジオの魅力
2020年6月27日の最終回には、TBSラジオのパーソナリティーとしても知られる伊集院光さんがゲスト出演しました。最終回のゲストが誰だったのかを調べている人にとって、まず押さえておきたい事実です。
TBSラジオ提供の記事を掲載した「radiko news」や、ORICON NEWSの報道によると、2人はラジオというメディアの魅力や、パーソナリティーとリスナーの関係について語り合いました。久米さんは、テレビは視聴者が非常に多く、送り手と受け手の間に個人的なつながりを感じにくい一方、ラジオには聴き手との縁を感じられる面があるという考えを示しています。
最終回では、久米さんが過去の仕事を振り返りながら、長年の放送活動についても語りました。本人は、実質的に仕事を始めてから50年という節目を迎えたことに触れ、十分に仕事をしてきたという趣旨の言葉を残しています。
また、最終回の冒頭では東京・赤坂の街頭から中継し、かつて「ザ・ベストテン」のスタジオがあった場所などを振り返りました。テレビとラジオの双方でキャリアを築いてきた久米さんにとって、赤坂は自身の放送人生を象徴する場所の一つでした。
番組の最後には、今後について含みを持たせながら、また機会があればという趣旨の言葉で締めくくっています。番組そのものは終了しても、ラジオとの関係まで完全に断ち切るという意味ではありませんでした。
終了を惜しむ声が報道で取り上げられた背景には、単に長寿番組が終わるという事情だけでなく、久米さんの話を毎週決まった時間に聴ける機会がなくなるという意味合いもありました。最終回は、番組の終了を伝える場であると同時に、久米さんがラジオをどう捉えていたのかを知る機会にもなったのです。
【歴代アシスタント】小島慶子と堀井美香は久米宏をどう支えたのか
「久米宏 ラジオなんですけど」のアシスタントは、番組の前半と後半で担当者が異なります。初代アシスタントは、元TBSアナウンサーの小島慶子さん。2006年の番組開始から担当し、2009年3月まで久米さんと共演しました。
2009年4月からは、TBSアナウンサーだった堀井美香さんがアシスタントを引き継ぎ、番組終了まで担当しました。TBSラジオの公式番組ページにも、久米さんと堀井さんが出演者として記載されています。
小島さんが担当した初期は、番組のスタイルを形づくっていく時期でした。一方、堀井さんとの共演は、番組が長く続くなかで定着した組み合わせです。久米さんの自由な語りを軸にしながら、アシスタントが番組進行を支える構成が、長時間の生放送を成立させていました。
特に、久米さんの語りは予定調和に収まりにくく、時事問題への意見が思いがけない方向に展開することもありました。そうした放送では、パーソナリティーの個性を消さずに進行を整える役割が欠かせません。堀井さんとの共演が長く続いたことは、番組のスタイルを支える重要な要素だったと考えられます。
なお、アシスタントの交代は2009年4月の一度が中心的な節目です。堀井さんが休演した際には、外山惠理さんが代役を務めた放送も、TBSラジオの過去番組ページに記録されています。そのため、歴代アシスタントを整理する際は、レギュラー担当者と代役出演者を区別する必要があります。
【評判と功績】久米宏ラジオなんですけどが評価された理由
番組の評価を考えるうえで、客観的な手がかりとなるのが放送賞です。TBSラジオの公式資料や同局の追悼発表によると、久米さんは「久米宏 ラジオなんですけど」での活動に関連して、2007年にギャラクシー賞のDJパーソナリティー賞を受賞しています。
この受賞は、番組が単に長く続いたというだけではなく、パーソナリティーとしての久米さんの仕事が放送関係者から評価されたことを示しています。
番組を象徴する企画の一つが、放送冒頭の一人語りでした。ニュースや社会の動きについて、久米さんが自分の言葉で考えを展開するスタイルは、ゲストとの対話とは違った緊張感を生み出しました。短い見出しや断片的な情報ではなく、話の筋道を追いながら聴く構成は、ラジオの音声表現を生かしたものです。
また、久米さんは、世間で広く共有されている意見に必ずしも同調せず、異なる視点を紹介することもありました。こうした姿勢は、聴き手にとって刺激になる一方、強い語り口や独自の見解が好みに合わない場合もあるでしょう。番組の個性は、誰にでも同じように受け入れられることより、パーソナリティーの考え方を明確に伝えることにありました。
この特徴は、テレビの報道番組で久米さんが築いたキャリアともつながっています。1967年にTBSへ入社し、「ザ・ベストテン」などの司会を経て、フリー転身後は1985年から2004年までテレビ朝日系「ニュースステーション」のメインキャスターを担当しました。テレビで培った構成力や時事問題への切り込み方を、ラジオではより個人的な語りに近い形で展開したのです。
番組の評判を振り返る際には、個々のリスナーの感想だけで全体の評価を決めるのではなく、放送賞、長期にわたる放送実績、最終回で語られたメディア論など、複数の材料を合わせて見ることが大切です。番組の功績は、久米さん個人の話術だけでなく、ラジオという媒体の特性を生かした放送を続けた点にもあります。
【2026年最新】久米宏の訃報と現在、ポッドキャスト・過去音源の状況
2026年1月13日、久米さんの所属事務所は、久米さんが同月1日に肺がんのため81歳で亡くなったと公表しました。テレビ朝日などの報道各社も訃報を伝え、TBSラジオも長年にわたる功績を振り返って追悼しました。
したがって、2026年現在の久米さんの活動状況については、現役で番組出演を続けているわけではありません。2020年にレギュラー番組が終了した後、2026年1月に死去したというのが、確認できる経緯です。
一方、2026年には「久米宏 ラジオなんですけど」の音源が改めて放送されました。TBSラジオは2月7日に特別番組を放送。日本民間放送連盟の2026年の受賞情報では、残された音源を活用し、名物だった12分間のオープニングトークなど、番組全体の約8割を過去の録音で構成した特番として紹介されています。
放送批評懇談会のギャラクシー賞データベースにも、この特別番組が掲載されています。久米さんの自由な語りを再び聴けるようにしたことや、当時と同じ曜日・時間帯に放送したことなどが、番組の特徴として取り上げられました。2026年の追悼は、訃報を伝えるだけでなく、音源を通して放送の仕事を振り返る機会にもなっています。
では、過去の「久米宏 ラジオなんですけど」は、現在も聴けるのでしょうか。TBSラジオの公式サイトには、番組の旧ページが残っており、ポッドキャスティングの案内や過去の放送音声を試聴する項目が掲載されています。2016年のオープニングトークなど、過去音源にたどり着く手がかりがあります。
ただし、旧ページにポッドキャストの案内が残っていることと、全放送回が現在のポッドキャストアプリで配信されていることは同じではありません。全回を自由に聴けると考えるのではなく、TBSラジオの公式番組ページや、追悼特番に関する公式情報を出発点にするのが確実です。配信先や再生可能な音源は、掲載ページや配信期間によって異なる場合があります。
【久米宏ラジオなんですけど】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:久米宏ラジオなんですけどは、なぜ終了したのですか?
A1:久米さん本人は2020年6月の放送で、言い間違いの増加や集中力・根気の衰えなどを理由の一つに挙げました。また、番組が下り坂になる前に終えることが望ましいという持論も説明しています。終了は同年1月上旬に決まり、6月6日に公表されました。
Q2:久米宏ラジオなんですけどの最終回はいつで、ゲストは誰でしたか?
A2:最終回は2020年6月27日です。ゲストは伊集院光さんで、2人はラジオの魅力やパーソナリティーとリスナーの関係について語り合いました。
Q3:久米宏ラジオなんですけどは、2026年現在もポッドキャストで聴けますか?
A3:TBSラジオの旧番組ページには、ポッドキャスティングの案内や過去音源の試聴項目が残っています。ただし、全放送回が現在のポッドキャストアプリで聴けることを意味するわけではありません。公式ページの掲載状況や、2026年に放送された追悼特番の情報を確認するのがおすすめです。
「久米宏 ラジオなんですけど」は、2006年10月7日に始まり、2020年6月27日に最終回を迎えた長寿番組です。終了の理由について、久米さん本人は加齢による集中力や根気の衰え、言い間違いの増加などを説明しました。そして、番組の印象が良いうちに終えるという、自身の仕事観も明らかにしています。
小島慶子さんから堀井美香さんへとアシスタントが交代し、最終回には伊集院光さんが出演しました。番組は久米さんの個性的な語りを中心に、時事問題への独自の視点や、ラジオならではのリスナーとのつながりを伝えてきました。2007年のギャラクシー賞DJパーソナリティー賞も、その活動を振り返るうえで重要な実績です。
2026年1月に久米さんが81歳で亡くなった後も、過去の音源や追悼特番を通じて、その語りを聴き直す機会は残されています。番組の終了をめぐる情報を調べるときは、本人が説明した理由と、根拠が明確でないスポンサー説などを区別することが大切です。
久米さんが残したものは、長寿番組という記録だけではありません。自分の言葉に責任を持ち、納得できる仕事を続け、終える時期についても自ら考えるという姿勢です。番組の最終回と2026年の追悼特番は、その仕事観とラジオの可能性を改めて考える手がかりになっています。